平成23年8月 東日本大震災 復 興支援ボランティア活動に参加して


 8月26日(金)から28日(日)まで、所属する少林寺拳法の道院を通じて、三重県少林寺拳法連盟からの呼びかけを頂き、東日本大震災復興支援ボラン ティア活動に参加して参りました。目的地は岩手県陸前高田市、活動内容は津波に被害によって生じた瓦礫の撤去作業でした。

 大型バスに乗り夜8時に津市内を出発しました。津市内、ご在所サービスエリアで順番に参加者を乗せ、総勢26人のメンバーで東北地方を目指しました。途 中渋滞や通行止めなどに巻き込まれながら予定を大幅に超過し、やっと陸前高田市に到着できたのは出発してから14時間後の午前10時ごろでした。ボラン ティア活動に参加する以前に、現地にたどり着くまでで大変な事なのだと実感しました。

 陸前高田市は、かつては海岸沿いに植えられた約7万本におよぶ松並木の「高田松原」で知られる風光明媚な場所で、毎年多くの観光客が訪れていましたが、 今はその松もたった1本を残して全て津波で押し流され見る影もありません(その松は「希望の松」と呼ばれ、被災地の皆さんを勇気づけています)。また町も 建物や道路、線路まで全てが消えてしまい、全く無人の瓦礫に覆われた平らな地面がどこまでも広がっています。時おりぽつんとコンクリートのビルが残ってい ますが、どれも4階部分までぶち抜かれていて、こちら側の窓から建物の向こう側の景色が見え、その間で破れたカーテンがひらひら風に揺れている様子はとて も不気味なものでした。とても現実のものとは思えない風景をバスの窓から眺めながら移動しました。

 被災地には、全国からやってくるボランティア達を統括する「ボランティアセンター」という施設がいくつも開設されていて、その中の一つである「陸前高田 市災害ボランティアセンター」で、その日私達が参加する具体的な作業内容や場所について説明を受け、さらに40分かけて活動場所である広田半島まで移動し ました。

 私達が活動した広田半島は陸前高田市の南東部にあって、震災では半島の左右両側から津波が押し寄せてぶつかり合い、巨大な水柱となって大変な被害があっ た場所です。このぶつかり合った津波の事を現地では古くから「水合い」と呼ぶそうですが、そのため半島は付け根の部分が完全に水没し、水が引くまでの約 10日間にわたって孤立したとのことでした。

 今回瓦礫の撤去作業をした現場は、もともとは住宅や商店、小さな町工場などがある場所でしたが、今はただヘドロのたまった草むらが広がるばかりです。こ のあたりの復興作業はまだこれからのようで、周辺の森の木々の10mほどの高さの部分には、まだ沢山のゴミなどが手付かずのまま絡まっていました。さら に、この地区だけで300人ほどのご遺体がまだ見つかっていないとの事で、中には海に流されてしまった方々もいらっしゃるでしょうが、この瓦礫の中で眠っ ておられる可能性もあるので、作業中に見つけたらすぐ作業を中断してボランティアセンターに通報するようにと事前に連絡を受けました。

 全員長靴を履き、ゴム手袋をして、足首まで沈むヘドロのなか瓦礫の撤去作業を始めました。重い物を持ったり引きずったりしながら歩くと、足がズブズブめ りこんで歩くのが大変でした。中には長靴が脱げてしまったり、泥の中で転んでしまう人もいました。

 私達が拾い集めた瓦礫は、壊れた住宅の柱や屋根瓦、ときには屋根そのものが出てきて、それを分解して運んだりしました。漁業の盛んなところなので、大き なブイが沢山ついた太いロープが大量に絡まりあった状態で積み重なっていて、それを1本1本ノコギリで切断し、泥まみれになってほどきながら引きずり出し ました。さらに沢山の家財道具や洋服、おもちゃなどもあり、それらを見るたびに、持ち主だった人たちはどうなったのだろうと考え込みました。どれもこれも 水をたっぷり吸い込んで重く、ぬかるみのなかそれを運び出すのは大変な作業でしたが、力を合わせて何とか割り当てられた地区での作業を終えることが出来ま した。

 現地では、炎天下での作業による熱中症や、大量に発生している蜂による被害、ヘドロに埋まった釘を踏み抜いての負傷などの事故が多発しているとのことで したので、各自十分な飲み水を用意し、蜂に備えて白系の服を着用し、蜂除けも用意し、長靴の中には踏み抜き防止用の鉄板のインソールを入れたりなど万全の 体制で臨みました。大変疲れましたが幸い誰も怪我も無く幸いでした。
 
 東日本大震災の発生直後から、一刻も早く現地に入り少しでもお役に立ちたいと願いつつも、今までそれが出来ずにおりました。もちろん個人的に復興支援の ため寄付をしたり、所属する道場で義援金を呼びかけるなど出来る事をしておりましたが、やはり現地に行ってこの手で直接支援活動に携わりたいという気持ち は高まるばかりでした。このたびわずかではありましたが、やっと被災地で働く事ができました。しかし、もっと早く行きたかった、もっと沢山働きたかったと いう気持ちで、後ろ髪を曳かれるような思いで帰ってきました。

 復興は10年単位であると言う言葉をよく耳にします。私の実家がある兵庫県で発生した阪神淡路大震災でも、やっと人々の生活が落ち着いてきたのはその辺 りだったように記憶しています。今回の東日本大震災の直後に感じた悲しみや不安、自分に何か出来る事はないだろうかと、いてもたってもいられなかった気持 ちを忘れず、今後とも機会あるごとに被災地のために協力しつづける事は大切な事なのだと感じました。

 最後に、今回の東日本大震災で被災された皆様方のご健康、亡くなられた皆様方のご冥福、そして被災地の一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。



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