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介護保険と新しいメニュー



(平成14年4月のロータリークラブ講演より)



1・はじめに 

2・これまでの高齢者福祉と介護保険制度 

3・介護保険制度の問題点 

4・高齢社会では何が問題か 

5・現実は変わったか 

6・介護保険制度の新しいメニューとは 

7・おわりに 
                  

  1. はじめに

     戦後わが国では、社会保障の制度が広い意味で社会保険、社会福祉、公衆衛生の三本柱を国の責務として日本国憲法第25条第2項に規定し、四半世紀をかけてその実現を図ってきた。社会福祉が社会保険制度とは区別され、社会福祉施設を中心としたサービスの充実を目指してきたが、社会の高齢化にともなって起こるであろう財政破綻を理由に社会福祉の中に社会保険制度を導入する政策を打ち出した。すなわち、社会保険制度を通して国民全体の負担によって高齢社会を乗り切ろうとしたのである。その先例としてドイツの介護保険制度があったことはよく知られていることである。福祉が社会保険になじむものかどうかの議論があったこともまだ記憶に新しいことである。

     介護保険制度が導入されて2年が経過した現在、その功罪を議論することも今後の福祉施策にとっては意味のあるところであるが、現制度が抱える問題点を見据えながらわれわれが自ら高齢社会の問題をどう乗り切って行くべきか考えることも肝要であると思われる。なぜなら、それはわれわれの親の問題として、あるいはわれわれ自身の問題として高齢化ということが差し迫った問題であって決して他人事では済まされないことだからである。高齢社会は無関心ではいられない、幅広い問題としてわれわれ自身に確実に降りかかってきている問題なのである。

     本講演では、先ず第一に介護保険制度の導入によって従来の高齢者福祉がどのように変わったのか、あるいは変わっていないのか。次に介護保険制度が高齢社会の主体としての我々にとってどのような問題を抱えているのか。さらに現行の介護保険制度が抱える問題の中で高齢社会には何が問題となるのか。そして、その先にある介護保険制度による高齢社会の諸問題の解決策の見通しはどのようなものがあるか挙げてみようと思う。

     しかし、介護保険や高齢社会というテーマは非常に多角的な視野をもっており幅広い関心をもった問題なので、ここでは従来の福祉がサービス利用者の視点から何が変わったのかに焦点をあてて、今後の高齢社会の問題点を我々自身の問題としてとらえてみようと思う。つまり介護保険制度下におけるサービスの質及び量に対してその大部分が解決されたとしても、避けがたい大きな問題がこれからの高齢社会に残されて行くことになるからである。それは痴呆介護の問題である。

     以下、痴呆介護の問題解決に不可欠な介護サービスの現実を見据えて、今後のあり方を探ってみようと思う。




  2. これまでの高齢者福祉と介護保険制度

     介護保険以前の高齢者福祉は、一口に言って「措置制度」のもとにあったということができる。例えば、特別養護老人ホームに入所するためには行政庁への申請があって申請者及びその家族が丸裸にされる聞き取り及び調査が行われる。その結果、入所が適であるか不適であるかの決定が行政処分として申請者に通知されたのである。

     行政庁は老人福祉施設に入所依頼を出し、施設はそれを受諾するという手続きを経て、施設入所となる。入所したものはこの行政処分の結果、施設を利用する利益を取得するものであって利用する権利があるというわけではなかった。

     施設入所者は施設の管理規程に従い施設の管理のもと、生活を余儀なくされる。施設側も随所に入所者を管理する姿勢がとられ職員も入所者を管理することに慣れ親しみ、入所者の生活の質(QOL)とか人間としての尊厳とかを擁護する立場にはなかった。つまり人権意識が極端に欠如していたことになる。入所者の施設での生活は、職員の都合でどうにでもなるということであった。

     もちろん、こうした施設運営については施設の内外から批判がないわけではなかった。ところが昭和38年に老人福祉法が制定されて特別養護老人ホームの制度ができていたとはいえ、それ以前からの生活保護法による養老院時代をとおして培われてきた老人に対する考えが変わろうはずはなかったし、変えようとする努力も空しいものに思われていた。

     例えば、お年寄りの施設での生活管理に関する言葉に「処遇」という言葉が使われてきた。英語で言うtreatmentである。医学の世界では、処置とか手術とかという意味で使われているが、福祉の世界では「処遇」なのである。この言葉の感覚は管理的な色彩が強いので、これに変わる言葉はないか検討されたこともあるが、結局適当な言葉は見つからないできた。

     平成12年4月に介護保険制度が導入されてから、高齢者福祉のこのような問題にどのような変化をもたらしてきたというのであろうか。

     まず、「措置」という概念が払拭された。国民は申請にもとづく入所措置という行政処分を受けるのではなく、保険料を支払うことによって保険事故(介護を要する状態に陥ること)に遭遇したとき、介護サービスを受ける権利が発生することになる。サービスを受けるには、これまでの行政処分を受けてからではなく、介護サービス事業者へサービスの提供を依頼することによって成り立つ。つまり、保険料の支払いに対して反対給付を受ける権利があるということになる。ここで措置から権利へと制度上は変化したといえる。この点においては医療保険と異なることはない。但し、医療保険と大きく異なるところが2点ある。一つはケアマネジャー(介護支援専門員)が作成する居宅介護サービス計画を経てからでないと、サービスが受けられないということである。もちろん、これは自分で、若しくは家族が作成することもできるのであるが、実際には非現実的である。

    もう一つは、サービスの供給量が絶対的に不足していることである。サービスを受けたくてもサービスがないというのが現実である。保険料は徴収されるが、受けたいサービスが不足し受けられないのである。

     次に「処遇」という言葉であるが、実際の運営の中ではほとんど使われなくなってきた。慣例として言葉には出ることはあるが、「介護サービス」若しくは単に「サービス」という言葉に置き換えられつつある。言葉の響きから職員の意識が少しずつではあるが、介護現場では変化しているように感じられる。また、福祉という言葉も介護という言葉に置き換わってきた傾向がある。

     高齢者福祉の微妙な変化が介護保険制度の導入によって惹起されていることが窺われる。




  3. 介護保険制度の問題点

     高齢者福祉の一面が保険制度によって変化してきたことは以上のことだけからも窺い知ることができるのであるが、制度の性質上福祉のありようがマイナス方向に変化した面も見逃すわけにはいかない。

     第一に挙げられるのが、介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格制度である。介護保険は自分で居宅介護サービス計画を作成しサービスを受けることは非現実的で、利用するものはごく僅かであると聞いている。したがって多くの場合、介護サービスを受けるには介護支援専門員に居宅介護サービス計画を作成してもらって、サービスを受けなければならないことになる。ところが、新聞・テレビなどのマスメディアを通じて盛んに議論されていることであるが、介護サービスを受けるに当たって必要なこの介護支援専門員の「質」が問われているのである。

     何故「質」が問われるのか。介護支援専門員は試験を受け合格したら研修を受ける。一般に大変なことといわれているが、社会福祉の相談援助技術に比べたらあまり程度の高いものということはできない。第一に、受験資格要件が甘いこと。第二に、相談援助技術を身に付けることがほとんどなくても制度上は仕事として成り立つこと。第三に、試験に合格し研修を受けなくても、誰でも介護支援専門員と同等の仕事ができること。第四に、介護支援専門員を雇用するものが仕事の内容を理解しておらず、介護支援専門員の仕事の内容がわからない場合が多いこと。以上の四点がネックになっている。

     なかでも最も重要なのは第二の相談援助技術に関してである。ケアマネジャーの仕事上では問われることがないが、本来、人を援助することはそれなりの専門性を身に付けていなければならないことである。こと介護支援専門員に関しては専門性を問われることはほとんどないのである。相談援助技術の専門性に関し最も基本的なことは、「人(クライエント)と関わることは、関わる人間(介護支援専門員)の全人格が常に問われる」ということを介護支援専門員が自覚することである。この基本が分かれば、専門性の向上を望むことができるのであるが、残念ながらこの基本を知る介護支援専門員に出会うことはまれである。

     「法律家は悪しき隣人である」という言葉があるが、正に「介護支援専門員は悪しき隣人」である場合が多い。「法律家は悪しき隣人である」ということはいろいろな意味で使われる。法律家は四角四面にものを考え過ぎ、制度に縛られ、制度の枠から出ようとはしないで考えが柔軟性に欠けてしまうなどである。結果、人間関係がギクシャクしてしまったり人間関係が壊れてしまう。相談したものは納得がいかないまま法律家の制度論に押し切られてしまうのである。介護支援専門員はまさにこれである。利用者の権利の代弁者であるはずの介護支援専門員がいつのまにか制度の番人に成り下ってしまっているのである。介護支援専門員であるという立場が制度の運用者になり、相談者に対する支配的な地位に酔いしれるのである。介護支援専門員に「質」とは何か議論させれば面白い。「質」とは、制度をよりよく理解していることである。したがって、「質」の向上のために制度を少しでも細かく知ろうとするのが常である。まさに相談援助者の基本的専門性である、「人(クライエント)と関わることは、関わる人間(介護支援専門員)の全人格が常に問われる」とは、無縁の世界で仕事をしているのである。

     次に問題なのは、サービスの供給量が行政によってコントロールされ増えないことである。特別養護老人ホームに入所するのに、場合によっては2,3年待機しなければならない。数字だけの上では10年待たなければならないことにもなる。要介護状態になり老人ホームへの入所を余儀なくされても途方にくれるしかない。保険料を支払っても受けたいサービスは受けられない。医療の世界で耳鼻科にかかりたいが、混んでいるので眼科で我慢してくださいということがあるはずがない。しかし介護保険の世界ではありうるのである。

     なぜサービス量が増えないのか。病院を建てるのにその建設費の半分を国県が補助金を出すことがあるだろうか。特別養護老人ホームの場合は出すのである。医療も介護も同じ社会保険なのにである。当然予算という枠があるから新設するベッド数は予算によって制限を受けているのである。だから増えない、というのが一つの理由として考えられる。

     しかし介護保険制度の導入にあたって、高齢者福祉はサービス事業として位置づけられ、利用者はサービス事業者を自由に選択できることになっていた。サービス事業者は自由競争の原理に従いサービスの質の向上を図ることができる、というのが、介護の世界に社会保険方式を導入し、国民から保険料を強制徴収する言い訳になっていたはずであるが、現実は全く機能していないのである。

     三番目には、特別養護老人ホームが国県の補助金をもらって開設するということがどのような影響をもっているかということである。介護を事業として捉えると、建設費の半分をもらって事業ができるとなれば誰でも一度はやってみたくなるとは考えないであろうか。事実、高齢者福祉には興味はないが事業としては面白い。何せ事業開設資金の半分は補助金でまかなえるのだから・・・と、考えるものはいないだろうか。事実これまでの社会福祉法人の経営者の多くは、この類である。福祉の専門家でもないし、福祉にとりわけ興味があるわけでもない。しかし経営は自治体から保障される。つまり地域的独占が保障されているのである。たとえ福祉の素人でも事業に失敗するはずがないのである。このことは何故問題かというと、経営者自身が福祉のことを理解していないから、施設の運営に福祉の理念が育たないのである。したがって、理念なき社会福祉がまかり通るのである。結果として、利用者が十分なサービスを受けられないという状態がいつまでたっても改善されないし、今後も改善される見込みはないのである。

     以上三点において、介護保険制度の下では、高齢社会の介護の問題は財政的な問題は解決できても、本来保険料を支払っている利用者の権利は保障されないということになってしまうのである。




  4. 高齢社会では何が問題か

     さて介護保険制度のメリット・デメリットの一端を考察してみたが、それでは高齢社会といわれる現在及び将来に最も影響を及ぼすことは一体なんであるかというと、それは間違いなく「痴呆」の問題であると考えられる。上述の問題点は、実際の介護現場では、真正の問題ではなくてもある程度介護問題は乗り切ることが可能であるし、十分満足のいくものではなくてもある程度介護問題を解決してくれる。解決が困難なことは痴呆の問題であるということである。

     しかも、痴呆の問題はもはや他人事ではなくなってきている。自分の家族が、そして自分自身が解決しがたい痴呆の問題を抱える確立が非常に高くなってきていることである。それにも関わらず、痴呆はある程度予防可能であるとさえ言われている、痴呆に対する正しい知識があれば、対応が早く、解決が容易であり、自分のこととして予防的なこともできるのである。

     現在の介護サービスの質・量ともに、痴呆の問題に対しては対応できていないといわざるを得ない。

     痴呆は医学的に診断は容易である。あなたの脳は萎縮が見られますと。しかし診断に対して対応した治療がないといっても過言ではない。痴呆の問題の多くは、痴呆に対する無理解からくる誤った介護、あるいは世話から引き起こされる場合が多い。痴呆になった人の環境が自分では解決不可能な状況の下で、問題行動といわれることがおきてくるのである。

     介護者の対応が間違えば、問題は悪循環的に介護者の身に降りかかってくる。その先はまさに介護地獄である。これから脱するためには必要な介護サービスを受けるため、ケアマネジャーの力量が問われるのである。そのケアマネジャーが施設の職員である場合、先ず考えることは「こんな大変な人は自分の施設には入れたくない」であろう。他の施設では利用を断られるか、満員でいつ入れるか分からないといわれる。痴呆の問題行動がどう出るかなどと、1年後の予測はできないのである。問題行動に家族が対応できなくなったとき、すぐに受け入れてくれる施設はない。担当ケアマネジャーは「お宅のような問題のある方はサービスを利用できないんです」と言う他ないのである。まさに、サービスの欠落である。

     軽い痴呆であったり特に問題行動がない場合などは、家族が遊びたいために介護保険サービス受けることは容易であるが、介護地獄から脱出を図りたいような場合はできない。こういうことを「介護保険制度の矛盾」というのではないだろうか。




  5. 現実は変わったか

     高齢社会で痴呆の問題を最大の焦点として考えるならば、介護保険制度になって高齢者福祉若しくは介護という現実は変わったかというと、そうではない。上述した問題点が根強く残っている以上、変わったとは言いがたい。施設職員が口にすることは、「自分が働いている施設に自分の親は入れたくない」とか、「自分はこんな施設には入れられたくない」ということである。何故だろうか。「措置」時代の福祉から介護保険の介護サービス事業者間の自由競争と利用者による介護サービスの選択の自由の時代になっても、福祉理念なき福祉が単なる事業のための介護事業という経営姿勢が変わらぬ限り、変わらないのである。

     痴呆介護は家族の力には限界がある。無理に介護をすれば、「老人虐待」、「家族共倒れ」、「家族崩壊」の諸問題が起こりうる。相手が身内であり家庭内であり、そしてなにより高齢者であることから、これらの諸問題は事件としては見えにくいことがある。「たとえ痴呆であっても」、という言い方があるが、では痴呆であること自体が『罪』なのだろうか。だから、受けたいサービスも受けられず、家族ともども地獄の生活を強いられるのだろうか。

     高齢社会で痴呆を抱えたとしても本人・家族ともに生活することはできないものだろうか。




  6. 介護保険制度の新しいメニューとは

     痴呆の問題解決の切り札として、介護保険制度に新しいメニューが取り入れられた。痴呆性高齢者の「痴呆対応型共同生活介護」いわゆる痴呆性高齢者グループホーム(以下、単にグループホームという。)である。このグループホームとは、「たとえ痴呆であっても家庭的な環境の下で5〜9人の少人数で共同生活をすること」によって、痴呆症状を緩和させ、痴呆の進行を遅らせることを目的とした施設である。実際、グループホームでは痴呆の問題行動のかなりの部分は解消され、穏やかな安定した生活を送ることができている。

     グループホームは介護施設ではない。したがって、ある程度日常生活ができ、痴呆も中等度以下でなければならないという利用制約がある。現実には、せっぱ詰まった家族の依頼で重度の方も入居されているのだが。

     しかし、グループホームでの生活に適した人が適切に利用し、グループホーム自体が増えれば、「特別養護老人ホーム」の利用者は相対的に減るはずである。重度の痴呆の方は利用しやすくなるずである。

     また、これまでの福祉サービスに自助努力が報われることはあまりなかった。人生40年間まじめに働き、蓄財もできた。年金も人並みにもらえた。でも、要介護状態になれば十羽一からげで4人部屋の老人ホームしか選択肢がなかった。

     グループホームは、小規模で費用もかかる。しかし、自分らしさを主張して老後生き抜きたいなら大きな可能性を提供してくれる。今後、「痴呆対応型」のみでなく、一般の要介護の方も利用できる高齢者用グループホームが制度化されれば、国県の補助金を莫大に使った大規模な老人ホームは不要になってくるであろう。またグループホームは、福祉理念を具体化しやすいことと設立が容易であることから、今後のサービスとしては増加することが望ましいものと考えられる。

     痴呆性高齢者のグループホームは、1980年代半ば頃スウェーデンの精神化医によって始められたと聞いている。自ら勤務する精神病院の痴呆性高齢者が病院の閉鎖病棟に入れられ著しい問題行動を示しているのをみて、これらの問題行動は環境に影響されているのではと考え、周囲の医師の反対にもかかわらず別荘に7人の患者を移し環境を変えたところ、見る見るうちに痴呆の問題行動は消えていったという。そのグループホームが痴呆性高齢者のケアの切り札といわれるようになり、今日では世界的に広まっているのである。




  7. おわりに

     グループホームの利点は、設立者の側から見れば小規模であるため設立が容易であることであり、利用者側からはそれぞれのグループホームの特色(理念や生活内容・運営方針など)が明確で分かりやすく、自己決定に従った生活ができることである。自分の生きかたは自分で決めることが限りなく幸福につながるという、自己決定的な生き方が保障されやすいのである。したがって、グループホームの一般型も今後の制度化には是非必要であろう。介護保険のメニューに是非加えてもらいたいものである。

    グループホームの設立にあったっての厚生労働省の意向は、ケアの対象が痴呆性高齢者に限られるため、施設の管理者が痴呆介護の専門性を身につけていることを要件としている。これまでの特別養護老人ホームの設立とは格段の差があると言える。加えて、特別養護老人ホームが概して不便なところに設置されているケースが多いのに対し、グループホームは生活環境が整っているところにしか設置できないようになっている。

     グループホームが街の角々にでき、グループホームを介して新しい家族関係が構築できれば理想的と考えられる。グループホームが痴呆性高齢者のケアの切り札と言われるのは、単に痴呆性高齢者本人にとってだけでなく、家族、地域も含めたケアの要になると思われるからである。

     以上