認知症の理解について〜尊厳を支えるケアを目指して〜
2)認知症になるということはどういうことか?
見える世界が変わるとでも言ったら理解してもらえるでしょうか。わたしたちの生活はすべて記憶でできていると言ってもいいでしょう。その記憶に変化が起こるわけです。この記憶によって作られる私たちの世界はいわば常識の世界ということができます。この常識によってわたし達は自分が何者かを知っているわけです。自分の行動に予測をつけられるし、判断ミスにも気づき、修正も可能です。
これに対して、認知症の人の世界は別世界であると考えてもいいでしょう。これまで獲得してきたものが分からなくなる。だから例えようもない不安に襲われる日々がつづくのです。ところが、全てが分からなくなるわけではない。寸断された記憶とでも言うべきでしょうか。つじつまが合わなくなってくる現実に戸惑いを感じているのです。認知症の症状やその人によって差はありますが、残っている理性で必死で自分を守ろうとする言動が、わたし達には奇妙に感じられるわけです。
2. 認知症の予防を考える
1)認知症になるタイプならないタイプ
認知症になる人の基本的なタイプは「まじめ」である。ならないタイプは「まじめじゃない」人とは言いにくいのですが。まじめでも「き」がつく「生真面目」タイプなんですね。認知症で相談を受けると「どうしてこんなに真面目に生きてきた人がこんな病気になるんでしょうか。」と言われることが非常に多いんです。
ある先生の話だと、職業別でも違いがあるとか。学校の先生や公務員なんかが上位ですよ。ならないタイプは政治家だそうです。何でも欲が深いとかで。なんかうなずけますね。学校の先生や公務員は真面目というイメージが。また、政治家で欲が深いということは、頭がいつも若々しいということなんでしょうか。確かに、パチンコ、マージャン、株をやる人にボケは少ないとも言われてます。最近では、社交ダンスが言いといわれてますね。なんでも、いつも「ときめいて」いられるんだそうです。
2)予防は可能か
脳の老化を防ごうと、最近は色々なことが言われてます。任天堂のなんとかや本屋さんにもたくさんその手の本が売られています。これらのことをやれば認知症にならないのかといわれると、やらないより、やったほうがましとしか言えません。ただ、ここで生真面目な人は「やらなければと」義務化してやってしまうんですね。多分。そうすると危険な気がしますよ。また、散歩がいいとも言われてますね。適度な運動は脳の血流を良くするんだそうです。これも生真面目な人は「散歩を義務のように」考えちゃうんですね。特に男性サラリーマンで定年退職後「散歩が趣味」という人がたくさん認知症になってわたしのところに相談に来ます。困ったものです。散歩についてもときめくような散歩をしなさいという先生がいます。「ときめき」がやはり大切なんですね。年をとってもチュ−している人、愛しているという人、手をつなぐ人などがいいらしいですよ。
3. 認知症の症状
1)中核症状と周辺症状
中核症状とは、脳に器質的な傷害があるがゆえに起こる症状です。例えば、典型的には「記憶障害」ですね。ご飯を食べたことを忘れるなんてことがあります。記憶が完全に抜け落ちてしまいますから、どんなに説得、証明しようが身に覚えがありません。
でも、それ自体、病気のなせる業で、どうってことないんですよ。ある行為を忘れてるだけなんですから。それで、空腹で倒れるなんてことはありません。
問題は、対応が悪いと認知症の人を怒らせてしまうんですね。まずい対応を続けていると、やがて嫁がわたしの財布を盗ったとか、隠したとか。ご飯に毒を入れたとか。いろいろ言ってくることになり、介護者はいたたまれなくなってくるんです。これらが周辺症状です。
つまり、周辺症状は作られるということなんです。適切なケアをすればそれはやがて消失していきます。しかし、中核症状としての「記憶障害」が治るわけではないんですね。認知症の人は困ったもんだというのは、適切なケアがなされないから、周辺症状が出てきて、その周辺症状を認知症のせいにして困った困ったと周囲の人が言っているだけなんです。
2)対症療法と原因療法
熱が出たからとりあえず解熱剤で熱を下げましょうというのが対症療法ですね。でも、熱が出た原因が分かっているわけではないから、どうして熱が出たのか原因を突き止めて治療をする。治療が成功すれば熱は下がります。その後、同じ原因で発熱はしなくなります。これが原因療法ですね。
認知症も問題行動に対症療法的なケアをすると大変なことになってきます。例えば、徘徊するから鍵をかけて出られなくする。失禁するからオムツをする。転倒の危険があるから車椅子に縛る。これらはケアする側の論理で、認知症の人には理解できない身体拘束として苦しむわけです。その結果、周辺症状、つまり問題行動はどんどん広がってきます。
結局、介護する側にも負担は増大してくるわけなんです。問題行動の原因が中核症状なのか周辺症状なのか見極めなくてはなりません。「ご飯を食べていない」というのは、記憶障害によるものですから、中核症状ですね。「さっき食べたでしょう」と答えれば、「うちの嫁はご飯も食べさせてくれない鬼のような嫁だ」というのは周辺症状です。対応が悪いとこうなるんです。「あら、ごめんなさい」とここで一言謝る。それから、いまから急ぎ用意しますから、それまで「おせんべいでも食べてまっててくれませんか」、「おや、そうかい。すまないね」となって、「うちの嫁は優しい嫁だ」となるわけです。
4. 認知症のケアの基本
1)寄り添うことの大切さ
「ご飯を食べてない」でお分かりのように、私たちの常識でケアをしようとすると間違いが起こります。ご飯を食べたのに食べてないというのは私たちの常識の世界では非常識ですね。食べていないという認知症の人の世界の中に入り込むと、「そうか、食べてないんだ。じゃ、用意するか」となるんです。でも、代替行為によって、「食べてない」という主張は、記憶障害ということから、それも忘れてしまうんです。結果、ご本人は落ち着いているわけですね。記憶が抜け落ちること以外、問題となる言動はないということになります。認知症の人の世界の中に入り込み、耳を傾けて聞くことが何よりも大切なんですね。
2)共感能力の必要性
それでも、毎日毎日同じことが起こると、やがてケアする方もイライラしてきます。「うん、もー。何回言ったら分かるんですか」と、せっかく認知症の人の世界に入り込んだのにそこから飛び出してしまうんですね。これは仕方がないと言うほかないんです。
でも、あきらめてはいけません。認知症の人は色々なことが分からなくなってくる、できなってくることによってつらい思いをしている人たちなんです。その気持ちを共有してあげないと、共倒れになってしまうんです。いじめられてつらい日々を送っている子どもに「あんたが悪い」といったら何にも解決しませんね。その子の「つらい思い」をお母さんだけは分かってくれてるんだと子供に思わせないといけませんね。
赤ちゃんが「わけもなく」泣いている。小さい子がいたずらをした。でも周囲の大人たちはそれを笑って許しますね。そう許せるんです。でも、それが大人だったら許せないんですね。認知症の人にも同じように接することはできませんか。
3)ケアギヴァー(介護者)を支える
認知症の人のケアを一人で抱え込まない。つい、イライラするのは誰でも起こりうることです。ケアの中心になる人を決めて、周囲の人が少しずつ介護負担を分担してあげることが大切です。イライラした人にケアを受ける認知症の人にも辛いものがあります。
4)七分の力で社会資源を活用
介護に100%は禁物。七分の力で介護できるように社会資源を活用すべきです。そのためには、地域が認知症に対して正しい理解を深めるべきですね。皆さんがその地域の一員として認知症を理解し、ケアできることが理想だと思います。
5. 地域で認知症を支える
1)認知症ケアで悲惨な結果が
ケアに絶望し、無理心中という事件がありました。虐待がなされケアする方もされる方も地獄の苦しみを感じることもあります。これらの場合、悪意がない。虐待の事例でも虐待という認識がないのが通常だそうです。
2)社会資源を地域で作り出す〜認知症の理解を地域に広める〜
認知症をケアする家族の心理を考えてみましょう、
@ 人の世話にはなりたくない
A この人を人前にさらしたくない
B 認知症の家族をもったことのつらさを人に説明することが、さらにつらい思いを重ねなくてはならないとい
C 「つらい気持ち」は「世間は冷たいもの」に見えてくる
D 「このつらい気持ち」は誰が分かるものかと自分を追い込んでしまう
E ケアを続けて行くうちに、どうしてこんなになったのかと自分を責めるようになってしまう
問題解決に向けて:地域で認知症の理解が広まれば、ケアする家族がこういう思いをしなくてすみます。認知症と聞くと、眉をしかめる、気の毒にという表情になる、係わりたくないと思ってしまう、厄介なことに巻き込まれたくないと思ってしまう。
認知症と聞くと、「そうですか」と言って、笑えるようになればいいんですけどね。
つまり、わたしたちみんながあなた達(認知症の方とその介護者)の味方ですよ、という雰囲気が地域にできれば、笑顔で「お世話になります」と返ってくる。
認知症の方の問題行動が、問題でなくなってしまうと思うんですが。
以上