宮城長順
明治21年生。十四才の時、東恩納寛量に師事した。後に那覇手を剛柔流と命名し、また幾多の傑出した武道かを輩出するなど文武両道を極めた武人である。
「人に打たれず 人打たず ことのなきをもととする也」