先日の新聞に「不必要なものだけが必需品になっている時代に我々は生きている」「虚妄と美の言葉」オスカー・ワイルド。中紫光泰・庄子信訳が掲載されていました。
私はこの記事を読んで、自分にとって不必要なものとは何かをしばらく考えてみることにしました。
衣・食・住・この点は程度の差こそあれ必要なものであり、更に今では「遊」つまり遊びも生きがい論から言えば必要なことのようだし、あまり不必要なものが無いのではないかと思いをめぐらせていました。
しかし、何故か急に、15年ぐらい前に韓国の「斎洲島」に旅したとき、確か寺院の門前だったと記憶しているのですが「空死空生」の言葉が書かれた木版を見たことを思い出しました。
「空で生きてきて」「空で死んでいく」まさに不必要なものはいらないのです。
みごとに人生とは何かを示唆している言葉ではないかと思います。
と、言っても現実はそんなきれい事では生きてゆけないものですが?
余り、物にこだわらず、煩悩を少しだけ乾かしてみるのもおつなものですね。
秋の夜長、こんなことを考えてみるのも如何なものでしょうか!
今夜は秋涼の月を眺めながら人生の風情を紙風船に積んでみました。
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