私が10代の頃、「携帯」という言葉は、何か、「もの」をたずさえるということでした。
まさか、「通信相手」つまり、「人」をたずさえるなどと思いもよらなかった時代でした。
最近の新聞報道では、12歳から29歳までの日本の若者の「携帯」の利用者は77%とのことです。
「携帯」つまりこの言葉は、いまや「携帯電話」を示すことは誰も疑う余地がありません。
通信相手をたずさえることにより、いつでもどこでも自分の思いを相手に伝えることができる時代になったのです。
ところが、便利さと同時に常に携帯していなければならないという、言い換えれば携帯に縛られる現象が生じたのではないでしょうか。
そして、いつも誰かと話をしていなければならない症候群が誕生したように思われます。
いつの時代も新しい文明の利器は、私達に新しい生活の文化を創造させます。
21世紀の「携帯の文化」が何色になるのか、今後は何を「たずさえるのか」期待と不安が交錯する日々です。
21世紀の行政のあり方も、何をたずさえるのか問われる時代ではないのでしょうか。
本日は「携帯」が若者の体の一部になっている「携帯文化」の創造について、期待と不安を胸に紙風船に乗せました。
皆様のお考えはいかがでしょうか。
鈴鹿市議会議員 原田勝二