稲生の獅子舞について

1 伊奈富神社の由来

 伊奈富神社は、神代に東ケ岡(鈴鹿サーキット地内)に御神霊が出現せられて、夢のおつげによって崇神天皇五年に、神路ケ岡に大宮・西宮・三大神をお祭りされました。さらに、平安時代に弘法大師がこられた時に菩薩堂を建立し、七島池を一夜にして造られたと伝えられています。900年頃には、領地は東は白子、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大な面積でした。その後、鎌倉時代には幕府の将軍、江戸時代、紀伊の徳川家からも寄進をうけたという記録が残っています。

 2 稲生の獅子舞について

稲生の獅子は、1300年前にできて、鈴鹿市で最も古い獅子舞といわれています。昭和38年に三重県から無形文化財に指定されています。
稲生の獅子は3年1回舞い、4頭が保存されています。昔は大宮さん、西宮さん、ぼさつどう、、三大神に一つずつおさめられていたが今は、宝物庫にしまってあります。それぞれの獅子には特徴があり、大宮さんは最も大型、菩薩堂は最も小型、西宮さんは耳が垂れている、三大神は目が大きいという違いがあります。

<大宮>

<菩薩堂>

<三大神>

<西の宮跡>

  獅子舞は、神役1人、、お先4人、お頭4人、口取り4人、後舞4人、笛3人、太鼓1人、荷物1人の計21人で舞います。舞い年は、次のようなことが行われます。 

1月4日  社家株(30戸)の人たちが、お汁(総会)で神役を決め、2,3日後から練習を始める。毎晩2時間、2月5日ごろまで猛練習する。

2月1日  本殿より出て、大宮・西宮・三大神の拝殿とぼさつ堂にお祭りする。

  6日  夜に、神役が社務所で鏡もちをつき、オロクロシメ(獅子の耳・舌をはずれないように止める)

  7日  午前6時ごろ、白衣すがたの神役は、拝殿とぼさつ堂に分かれてお神楽を奏し、お頭をかついでみちゆきの楽でくり出す。ぼさつ堂の鳥居の前で、大宮・西宮・三大神の神役とぼさつ堂の神役があいさつをかわし、行列して社務所へ練りこむ。社務所で4頭を床の間におまつりし、鏡もちを各頭に1かざりずつお備えして奏楽する。(宮降り)
昼過ぎまでに獅子のお衣つけをして、午後境内で舞初めとなる。(清めの舞・衣(きぬ)つけの舞)その後、神宮寺(調べの舞)・中瀬古の福田寺(再調べの舞)・塩屋の福楽寺(セチの舞)・極楽寺の順で舞う。そして、稲生各地で舞う。

  稲生の獅子の舞い方は、次のような9つあります。

 1ダンチョの舞 2なかおこしの舞 3おうぎの舞 4かみおうぎの舞
 5とりとびの舞 6オイタチの舞  7花の舞
   8おこしの舞
 9田植えの舞

 詳しい内容は、「稲生郷土誌」に以下のようにまとめられています。

<舞い方>

  ダンチヨ(濫觴(らんしょう)の舞)

 神主が祝詞(大祓の詞)を奏上し始めると4頭の獅子が、いっしょに立ち上がって舞い初め、時計まわりに一回転する。口取はささらをすって後へつく。

  中起こし

 口取が常座でささらをすりながら飛び跳ねる。やがて獅子は体をゆすり口取のほうを振り返った後に立ち上がり2頭ずつ相対して舞う。次に口取りが長机の前に正座して頭を左右に振りながらささらをすり、獅子は速いテンポのはやしでいさましく舞う。これを乱舞という。

・ 扇の舞

 これは一頭で舞う。舞う場によって、次のように決まった獅子が舞う。

・ 大宮・・・・塩屋・一色・市場・野村・野町

・ 西宮・・・・中瀬古・極楽寺・御崎・慈恩寺・北町

・ 三大神・・西瀬古・中町

・ 菩薩堂・・神宮寺・釈迦堂

 最初をマイカケといい、獅子と口取りが背を向けて舞い始め、次に相対して口取りが扇で獅子をあやしながら北・南・東・西と同じ動作を繰り返して最初にもどる。次に日取りは2本のつぼめ扇を弓矢に見立てて獅子を射る。次にお頭が後舞を倒す。次に口取りが扇で四隅をさして獅子をあやす。次に扇を下においてあやしたり、見せたり、かくしたりして獅子をじらせる。獅子は怒ってかみつくこともあるが、最後に扇をくわえる。

・ 紙扇

 お先の1人が<獅子に水引のかかった扇1本と半紙1帖を重ねたものをくわえさせて舞う。

・ カラスとび

 獅子は2頭ずつ相対したかたちで舞場にねそべり、口取りは尾の位置でささらをわきにかかえて上半身を大きく回し、次にささらをすりながら飛びはねた後、獅子とともに全身して位置を入れかわり向き合って舞う。

・ オイタテ(お湯立て)

 扇の舞をした口取りが、白幣をもって3人の口取りを1人ずつおはらいし、次に笹竹を両手にもって円形の一斗ますにつけ、四方を清めるために振り回し、最後に後ろに笹竹を投げて終わる。

・ 花の舞

 お先が舞場の中央に4m程度の笹竹を立ててすわる。笹竹には細かく切った五色の紙を白紙に包んでぶらさげる。4頭の獅子が笹竹のまわりで舞い始めると、お先は笹竹を静かにゆり動かす。紙包みから五色の紙ふぶきが乱れ落ち優雅な舞となる。

・ 起し舞

 扇の舞をした獅子が、南東の角から時計回りの方向へ舞い始め、中央に寝ている獅子を起こす。最後に長机で休んでいる獅子も起きあがり、4頭が上座に向かった形で終わる。

・ 田植

 古里の福楽寺に出向いた時だけ、オイタテの後に行われる。これに用いる道具は、くわ4丁・かま4丁・たかきマンガ1つ・イシカゴ1荷と石1個・たばこ用ドウラン1つ・火縄1本・にないさお1本・牛のくらなどである。

 4人の口取りは、田起し・田すき・苗くばり・田植・休息・収穫の順に演ずる。

3 鈴鹿市内の獅子舞について

 鈴鹿市は獅子舞が古くから各地で隆盛をきわめ互いにその伝統を競い合ってきました。伊勢地方では昔『四山の獅子』と呼び、四つの流派の元がすべて鈴鹿市内にありました。4つとは、稲生流・郡山流・箕田流・中戸流(一ノ宮)で、市内だけでなく広く伝えられているようです。

 市内で獅子舞を行っている主な神社は、つぎのようなところです。

(1)久留真神社(くるまじんじゃ)<白子地区  白子町>
(2)江島若宮八幡神社(えじまわかみやはちまんじんじゃ)<白子地区  江島町>
(3)比佐知神社(ひさつちじんじゃ)
<白子地区  寺家町>
(4)一ノ宮都波岐奈加等神社いちのみやつばきなかとじんじゃ)<一ノ宮地区 一ノ宮町>
(5)椿大神社 (つばきおおかみしろ)<椿地区   山本町>
(6)酒井神社 (さかいじんじゃ)  <栄地区   郡山町>
(7)三宅神社 (みやけじんじゃ)  <国府地区  国府町>
(8)久々志弥神社 (くくしみじんじゃ)<箕田地区  下箕田町>
(9)飯野神社(いいのじんじゃ)    <一ノ宮地区 長太町>
10)深日神社(ふかひじんじゃ)    <玉垣地区  南玉垣町>
   宇気比神社(うけひじんじゃ)   <玉垣地区  北玉垣町>
11)深田神社(ふかだじんじゃ)    <若松地区  若松町>
12)川俣神社(かわまたじんじゃ)   <庄野地区  庄野町>
13)大木神社(おおきじんじゃ)    <石薬師地区 石薬師地区>
14)八幡神社(はちまんじんじゃ)   <河曲地区  竹野町>
15)川俣神社(かわまたじんじゃ)   <井田川地区 西富田町>

 4 日本の獅子舞の歴史について

  全国の獅子舞を調べてみると、日本の獅子舞には、2種類があのます。

 1つは、「二人立ちの獅子」で、このあたりでみれるように、獅子頭にほろを付けた複数の人が中に入り獅子頭を手に持って舞ったり歩いたりするもので、中国から踊りや音楽といっしょに伝わった獅子といわれます。西日本ではこのようなものがほとんどです。
 もう1つは、「一人立ちの獅子」で、小さな獅子頭を頭に被り胸に小さな太鼓をつけて一人で舞うもので、鎌倉時代ごろからおこり、江戸時代に広まった獅子で、これは東日本にしかありません。
 日本でいつごろから獅子舞が始まったのかはよくわかりませんが、飛鳥時代ごろには、中国から伝わったといわれます。
 日本には古くから、年が変わる季節になると、神様が村里を訪れ、土地と人に新しい年の生命と穀物の実りをさずけてくださるという信仰があり、そのためやってくる神様を、昔の人はいろいろな姿で想像したようです。獅子舞もそんななかから考えられてきたものだと思われます。もともと「しし」という言葉は、シカのことだという意見と、いろいろなけものやその肉のことで、「かのしし」「いのしし」などといっていたという意見があります。映画「もののけ姫」には「ししがみ」というのが出てきますが、姿はシカのようですが、「ししがみ」とは、「けものの神」という意味で名付けたものだと思われます。
「しし」と「ライオン」が結びついたのは、中国が伝わったおどりや音楽の中にライオンをもとにしたものがあって、日本でも広まっていったようです。もともと日本にはライオンはいなかったのですから、中国から伝わったものから創造して取り入れてきたものです。獅子舞の獅子の体の布が緑色なのはインドでから中国へ伝わった絵が緑色だったからだということや、全身に描かれるもようは「うずまき」で、これは若いライオンに一時的に現れる「つむじ」をもようにしたものがだんだん全身に描かれるようになったらしいということです。このことから、「しし」はライオンそのものでなくて、ライオンをモデルにした動物の神様であったものだったと思われます。今各地に伝わっている獅子舞の頭をみても、ライオン的なものもあれば、リュウ・トラ・イヌ・シカ・イノシシ・ウマなどににているものもあっていろいろです。
 でも、これらの獅子が舞うと悪魔が払われる、火事がさけられる、亡霊が成仏する、雨ごいが果たされる、五穀が実るなどという力もっている動物の神として、それぞれの獅子がつくられていったということです。