坂下 古くから鈴鹿峠の麓の街道沿いの町として知られています。
その街道の歴史は古くは阿須波(あすは)街道と呼ばれていた平安時代にまでさかのぼります。その後、江戸時代には東海道の48番目の宿場として、大変な賑わいを見せました。
@鈴鹿峠 三重県と滋賀県の県境にあり、「鈴鹿馬子唄」でも名高い峠です。東の箱根とともに東海道の難所でした。
片山神社から峠頂上にかけては峠道がそのまま残っており、「歴史の道百選」に選ばれています。
A鏡岩
(県指定 天然記念物)
露出面がこすられて鏡状になっている岩で、その昔山賊がここを通る旅人をこの岩に映して危害を加えたという言い伝えから「鬼の姿身」という別名もあり、東海道きっての難所であったゆえんを今に伝えています。
お食事処 鈴鹿峠 いらっしゃいませ お食事処鈴鹿峠です。
B片山神社 鈴鹿峠の中腹の木立の中に小さな神殿があります。
あたりは静かで、神気が満ちています。
C岩屋観音 元禄時代に旅人の道中安全を願って、岩の断崖をくりぬいて、阿弥陀如来、十一面観音、延命地蔵の石像三体を安置しています。
D坂下宿 東海道の48番目の宿場町。4件の本陣と100件以上の宿屋があり、大変賑わっていました。交通機関の発達により衰退しましたが、今も連子格子が当時の名残をとどめています。
E鈴鹿馬子唄会館 鈴鹿峠を発祥の地とする民謡「鈴鹿馬子唄」についての資料展示などをしています。
F筆捨山 怪石、奇石の多い山で、松・楓・つつじが繁茂しています。
昔、狩野法眼元信という画家がこの山を描こうとしましたが、山の姿の変化が激しくて描くことができず筆を捨てたので、この名がついたと言われています。

東海道の宿場町として栄えた関町。古代日本三関の一つ鈴鹿関が置かれた地です。
関宿の範囲は西追分から東追分までの約1.8kmに及びます。
現在、東海道の宿場町のほとんどがその姿をとどめない中にあって、唯一歴史的な町並みが残ることから、昭和59年「関町関宿重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
また昭和61年には「日本の道百選」にも選ばれています。
G西追分 関宿の西の入口で、東海道から大和・伊賀街道が分かれていました。
H地蔵院
国重要文化財)
天平13年(741)、行基菩薩の開創と伝えられています。
「関の地蔵に振り袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」の俗謡が有名です。
境内の本堂・鐘楼・愛染堂の3棟は国の重要文化財にも指定されています。
I郵便局 江戸時代には高札場があったところです。
J玉屋
(関宿旅篭玉屋歴史資料館)
関宿を代表する旅篭の一つです。
江戸時代に建築された貴重な旅篭建築に、当時使われていた道具類や、旅に関する資料などを展示しています。また土蔵では「東海道五十三次」で有名な歌川(安藤)広重の浮世絵を展示しています。
K本陣跡 関宿には川北本陣、伊藤本陣の2つの本陣がありました。
現在残るこの部分は、本陣の店部分にあたります。
L百六里庭・眺関亭 関宿の中の小公園。関宿が江戸から106里余りあることから名付けられました。眺関亭からはその名の通り関宿が見渡せます。
M山車倉(だしぐら) 「関の山」の語源にもなったという関宿の山車(やま)は最盛期には16基ありました。互いに華美を競い合い、狭い関宿を練ったことから生まれた言葉です。現在は四台の山車が残り、四ヵ所に山車倉があります。
N関まちなみ資料館 江戸時代の町屋を公開した資料館です。
関町の文化財の紹介や、歴史資料などを展示しています。
O御馳走場 関宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり見送ったりしたところです。
P東追分 関宿の東の入口。東海道と伊勢別街道の分岐点です。
大鳥居は伊勢神宮を遥拝するためのもので、二十年に一度の伊勢神宮式年遷宮の際、内宮宇治橋南詰の鳥居が移されてきます。

ここには載せきれないほど、見所がいっぱいです。
関町役場横に無料観光駐車場があります。
ぜひ、一度訪れて、あなた自身の関町MAPを作ってみてください。