鈴木秋翠の世界

                    

合同歌集 四

峠 道

巻頭句

    雲のせて伊吹遥かに麦の秋 

青き踏む 

    梅茶屋の主俳句のことを言ふ
           伊賀には月ヶ瀬に梅の花が見事な所がある。そこの茶屋の主人も風流人なのか作句に
              きた会の人たちと話が弾んでしまったのだろう。梅の話をもっと聞きたかったのに・・

   
     一山のみな梅ばかり人ばかり
      
 山も見えなくなるほどの満開に咲く梅の花、と同時にそれを見物に来た人たちも
         また山を埋め尽くさんばかり。

    
   
    畦焼いて戻りし夜の酒うまし
       
畦焼きは簡単そうに見えるがその時期や風の向きを考えたりするので気を遣うことが多い。
         やり遂げたという安堵感から今夜の酒はうまいのである。

    

    雲雀啼く空に高さのありにけり
       
麦畑には雲雀が姿を見せないほどの高いところで啼いている。

    
    春愁や知らねばそれで済むことを
       
家族に心配事が持ち上がったのだろう。聞かなければ自分も心配することも無いのだが、そうもいかない。

    
    帰りゆく鳥に国境なかりけり
       
いよいよ冬も終わり、国を超えてやってきた渡り鳥も元の国へ帰っていく。どこへでも飛
         んでいける自由さは人間には味わえない


   
    満開の花の虚子忌となかりけり
       
虚子忌は4月8日花祭りの日である。


    青き踏む大地静かにありにけり
       
早春の麦畑には麦踏みの足音しか聞こえない。

    
    そのことに触れず春めくことを言ふ
       
偶然二人になってしまった炬燵。話さなければならないことは沢山あるが互いに言い出せず話すは春の兆し。

                      青き踏むいつもの距離でありにけり

                      振り上げし鍬春光をはね返す

                      人おらずふらここ風にゆれており

                      大野火や鈴鹿連峰煙らせて

                      春眠の覚めて雨音ありにけり

    寄進米さげて訪ねし花の寺
      
妻の眠る西生寺へ今日は供養にとお米を持って訪れる。お墓の入り口には
        桜が満開である。


    風少しありしもよけれ畦を焼く
      
風が無くても、また、強風でも逆風でも畦焼きはできない。意外と良いときは
        少ないのである


    農を継ぐことも決まりて卒業す

    耕して一枚の田の広きかな
      
一反の田を今は耕耘機で耕しても汗ばむほどの重労働である。

    雨もまた春めくものでありにけり
      
冷たかった雨も菜種梅雨の頃には微かに暖かさを感じる。春はもう近い。

    春眠や地震もありしこと知らざりし


大青田

    掻き終えて大き城田でありにけり

    蛍火の闇に深さのありにけり

    水音と言ふ涼しさのありにけり

    いくすじも風の道ある大青田

    大青田風一枚となりて吹く

    サングラス外しいつもの人となる

    木曽川の水が潤す大青田

    梅雨深し土間に掛けたる鍬錆びて

    蛍火の失せて川風ありにけり

    おとたてて鈴鹿山より夜の喜雨

    夜の喜雨来るや大地に音たてて

    地下街といふ涼しさのあるところ

    炎天をきて不機嫌な顔ばかり

    釣り橋がつなぐ万緑谷深し

    日の匂ひ水の匂ひの大青田

    噴水の音に高さのありにけり

    朝よりの大暑の空でありにけり

    麦秋の夕日大きく落ちにけり

    梅雨晴れて風に軽さのありにけり

    万緑の峠越え来て伊賀に入る


伊 賀

    木の実落つ音の近くに見当たらず

    訪ね来て露けき伊賀でありにけり

    稲刈りの遅れし雨の降りつづく

    稲刈りの済みて妻の忌迎えたる

    峰競ひ伊賀も甲賀も秋晴るる

吊り橋がつなぐ花野でありにけり

雨ごとに秋を深めてゆく盆地

稲刈りのはじまる村でありにけり

秋耕の土の乾きてゆく日和

伊賀はよく晴れて翁忌なりしかな

我も又齢重ねて翁の忌

風にいろ走りコスモス畑かな

稲は黄となりてよき日のつづく伊賀

    威銃大きく朝の静けさに
        
おどしづつ(ししおどし)の大きな音が、早朝村の静けさをいきなりやぶる。
          伊賀には沢山の猪や鹿・猿が生息しており田畑の被害も大きい。そのため遠くの田畑から威銃の音が聞こえてくる。























    麦秋の夕日大きく落ちにけり (菰野町俳句大会 町議会議長賞)

    農を継ぐ ことも決まりて 卒業す

    面倒な 話となりし 春炬燵

    噴水の 音に高さの ありにけり (平成19年度 芭蕉翁献詠俳句 一般の部入選)

    妻の亡き 余生淋しく 年迎ふ 
 
    句に生きる ことの倖せ 去年今年

    妻眠る 墓の静かに 草枯れて

    湖北はや 時雨るる空の ありにけり ( 『空の一句』入賞作品集)

    村中に 匂ひ広げて 麦熟るる

    喜雨を待 つ ばかりとなりし 畑のもの




















鈴木秋翠は亀山市の片田舎で農家の長男として生まれ育った。

   <農を継ぐ ことも決まりて 卒業す>

この句には農業を継ぐという強い決意のあらわれが見られないと評する人もいるが、当時の時代からすれば家を継ぐ、農家の跡継ぎになるということは自然な成り行きであった。また温和な性格ゆえに両親の期待を背負い豊かな自然を友として生きることも悪くはないと感じたのかも知れない。しかし、まだ少年期にある彼がそれ程深く考えたとも思えない。卒業を控え級友たちから聞く様々な就職先の話、そして、まだ決まっていない自分の将来に不安を感じていたのだろう。ようやく決まったことに安堵感を覚えた時の事を回想しできた一句ではないだろうか。
 鈴木家には先代の時から多くの写真アルバムが大切に残されている。人生の節目節目に記念として撮られてきたものや日常の写真を親戚が集まる都度に嬉しそうに、そして懐かしそうにみんなに見せてくれた。私は時として私の父親が写っている様な写真を見ることが大好きだった。そして、奇異な人生を歩んできた私にはこのような平々凡々とした生活のなかで年老いた彼がまた大好きでもあり、彼の傍にいるだけで愉しみを感じるのである。

      
 鈴木秋翠は私の叔父にあたる人で 生き様を知っているだけにすべての句に心打たれます。