加佐登神社


祭神 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、天照大御神

由緒

 本殿北の白鳥塚は、三重県下最大の円墳で、古くから日本武尊の御陵とされ、本居宣長・平田篤胤らによって、延喜の諸陵
式の能褒野墓と考えられていた。この白鳥塚の近くに、尊が死の間際まで持っておられた笠と杖を御神体としてお祀りしたのが、加佐登神社の始まりと伝える。
 明治以前は、日本武尊一柱を祭神として奉齋し、御笠殿社と称され、諸病平癒の霊験あらたかであると人々の篤い信仰を受けてきた。
明治六年に現社名「加佐登神社」と改め、同四十一年村内神社を合祀し、村社に列した。
 古代この地は景行天皇が、行在所を置かれたという伝承から、高宮の里とも呼ばれ、附近には綺宮(かんはたのみや)塚・宝
冠塚・宝装塚など多くの古い塚が残っており、神苑は県下有数のつつじの名所として知られている。

社殿 本殿 神明造  十五坪

社宝 御笠殿社由来記 平田篤胤作・版木 
      歌軸 香川景樹作

「加佐登」の名の由来

 昭和17年の鈴鹿市制実施以降の名前で、それ以前は高津瀬村高宮と呼ばれていた。加佐登は、加佐登神社に因んで名づけられた。
ヤマトタケルが所持していたという笠が納められていることから笠殿と呼ばれ、「かさどの」の「の」が略されて「かさど」になった
と言われている。

本文出典 : みささぎの郷 里山づくりの会 ホームページ



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