近角常観著「信仰の餘瀝」

信仰の餘瀝序

 宗教は人心をして其根帯を自覺せしむるものなり。信仰は即ち其自覺なり、社曾にして宗教を欠くは、其発展の一大要素を欠くなり、個人にして信仰の立たさるは、未だ其根本的不明を断ぜさるなり、吾人の従來する所如何、吾人の趣向する所如何、吾人の價値は如何、吾人の運命は如何、吾人の趣向する所如何、吾人の價値は如何、吾人の運命は如何、凡此等吾人人生の最大問題は、一として最後の信仰に繋属せさるものあることなし、宗教的自覺の世道人心に必要なること論を待たざるなり、特に社会的開展の大運行を為す時に於て最も然りとす。今や我國家は制度文物の上に於て一大開展の歩を進めつゝあるにあらすや、確乎たる信仰の此際に必須なる固より其處なり、宜なり、社會の潮勢は頻りに其供給を迫り來れること、近時宗教を喚呼する聲の甚大にして、信仰を告白する説の甚盛なるか如きは、皆以って徴とするに足る、近角君の如きは最早く此聲に聞き、最早く此告白を試みたる一人なり、乃ち此小冊子の内容も亦其一端なり、君曩に自家の信界を表白して、之を『政教時報』に連載せり、これ固より君か信仰の餘瀝に過きさるもの、未だ以て君か信仰の全般を蓋す能はすと雖とも、君か如何に宗教を觀取し、如何に之を實驗し、知何に之を玩味せるかは、此数篇の間に於て之を瞥見し得べきが如し、今や四方の士、頻りに此か纂集出版を勧誘する者ありと聞く、然らは則ち、此数篇の文字は極めて僅少なりと雖とも、既に幾多の要求を満足し、更に幾多の供給に當らんとするに足るものなり。書して以って序と為す

明治庚子朧月於樹心窟朧扇生 満之識


第三版自序

の眞髓は内心の奥底に實驗する救濟にして、信仰の極致や、天然の顕象、人世の出來事に於て、森厳なる霊勅を感ずるに至る。心を潜めて人生の歸趣を觀ずるに、恰も是れ萬尋の深坑架するに朽床を以てし、晏座其危きを悟らざるが如く、盲人の断橋を渡り、相率ゐて蒼溟に堕落するが如し。予や去る明治三十年端なくも苦悶の暗黒界に彷徨し、心中凡ての煩悩を實驗し、口言ふ能はず、座に堪ふ可からず、八月の間、宇宙暗澹として黒烟を以て包まれ、精神昏昧にして頑石の野外に横はると撰ぶなきに至れり。慶ばしき哉、幸に佛陀慈愛の光明は予が暗黒の胸底を直射し給ひ、佛陀霊活の生命は予か乾燥せる心腑を潤澤し給へり、一日仰で蒼穹を望む、慈光世界に満ちて精紳遙に雲間の碧空と交り、俯して四圍の同胞に對す、愛情面に溢れて萬靈融和の楽土に在り、此に一生を九死の間に得て、内心深く佛陀の救濟を蒙るを得たり。爾來心中頗る恢廓、起居常に偽陀の矜哀を感謝し、好で他人の經驗を聞きて、點だしく心絃の共鳴を楽む。凡一年を経て、偶教界事あり、切に佛陀の靈勅を感ず、三十二年一月『政教時報』をお發刊するに及び信界の一欄を設け、『静觀録』と題して、聊か心殿の秘奥を披瀝す、文字修飾を須ゐず、一に懺悔と感謝との賓感を告白するを主とせり、是れ、事に燭れ、時に隨ひ、心中に感得したる所、各章間何等の關聯を存するものなし、然れども今にして之を思ふ、自ら是れ當時一年半に於ける信仰経過の日乗也、第一、篇、「宗教的同朋」は苦悶後命救済の実験を描けるもの、第十五篇「信念の修養は實際問題に如くはなし」は、佛勅を感ずる昭々として其極に達したる時直寫したる所、何れも深く思慮を費したるものにあらずと雖、筆を執るや、百忙中一室に閉居して、暝想静観、毎に粛々として一種森厳の感に打たれたるは今猶記臆する所也。三十三年予が航西の後、親愛なる師友は之を蒐集して剞劂に附し、目するに『信仰の餘瀝』を以てし、冠するに剴切なる序文を以てせらる、海外萬里遙かに一本を得て、深く恩厚を仰ぎ切に友情を感ぜり、其後版を重ね、四方信友の心讀を辱うしたるは最も感謝する所也。今や第三版を出すに及び、自ら魯魚の誤を正し、附録として在外中聖経に對する実験を披瀝する一文を添へ、初めて自序を加ふ。茲に熟過去を追懐して深く佛陀の冥祐を銘し、審さに現在を默想して切に霊界の威神を感ず、此編を繙く求道の諸士、庶幾くは求哀懺悔して、長へに救済の光を仰ぎ、親しく霊勅の聾に聴かれんことを。

明治三十六年二月十七日求道学舎静観室に於て近角常観識


信仰の餘瀝

近角常観著 


一 宗教的同朋

同朋とは如何なるものかを考へねばならぬ、世間では共に遊び共に食ひ互に往來をすれば直ちに同朋と云へど、こは決して眞の同朋とは云はれぬ、真の同朋とは互に心を知り合ふことである、心を知り合ふと云ふは他人の幸福あるときは自分の幸福の如く之を喜び、自分の幸福あるときは他人と其喜びを分つのである。随て又自分に災難あるときは遠慮曾釋なく打明て助けを求め、其代りに他人に災難



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あるときは自分の災難の如く心得て、命に掛けても之を救ふ氣になるのである。士は己を知るものゝために死すとは誠に此人情の濃か在る所を言ひあらはしたものである。此の如く相互に他人の利害を自分の利害と心得て、自然に情が溢れ、思はず知らず共に喜び共に憂ふる樣になる。かくなる已上は身體は二つに分れても心は畢竟一つである、所謂同心一體とは實に此言ふべからざる微妙の味である。抑々吾人は實際日常の交際を考へてみるがよい、全体人間は不完全のものなれば、誰も交際をする中には、あまり深く話し合はずとも何となく懐かしき人もあり、又何となく氣の進まぬ人もある、其時對手の人は如何なる心持で居るかを考へてみるがよい、此方より懐かしく思ふときは必ず對手も懐かしく思ふて居る、此方より氣の進


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まぬ時は必ず對手も同樣に思ふて居るに違ひない。かく心と云ふものは互に照し合ひ通じ合ふものである。然るに人間は自身勝手のもので、自分が對手に對する情の如何を顧みず、唯先方の心を忖度して、不人情であるとか無慈悲であるとか、兎角邪推するものが多い。凡そ世間一家の不和より一國の大騒動に至るまで、本を質せば僅か此一點人情の行き違ひより起るのである。こは甚しき心得違ひである。全體對手か自分を如何に憶ふて居るかを知らえとせば、先つ自分が對手を如何に憶ふて居るかを尺度として計算すれはよい、此方が五分憶へは必す對手も五分憶ふて居るに違ひない、互々の情の通ひは丁度秤の如く平均するものである、されど時として一方は非常に親切に考へ一方は却て之を怨に受ける場合がないとは云へぬ、さ


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れど筒樣在不平均は永く績くものでない、必ず善き方か悪しき方か何れにか平均するものである、而して善き方になるか惑しき方になるかは、辛抱の強き方が勝つのである、萬一親切の人の辛抱が強ければ終には怨に受けて居る方が氣が附いて、自分の邪なるを後悔する時節が來る。是か善人の感化の徳といふ者である、然るに兎角人間は惡しき方が勢力強くして親切の方は辛抱負けをする者である、今迄親切の心掛けをした人が、「是程の親切を盡すに飽まで之を怨に受けるはいかにもしぶとい」と云ふ樣に、一點自分の親切に眼がつきて先方の無情を怨む心が生ずれば、今迄の親切心が一轉して其儘怨みの心となる、すると怨に受ける方は益々怨を増す樣になる、かくなれば惡人の勢力で善人を引落したのである、實に怖るべき事である。


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而して世間實際の狀態は如何と云ふに、決して善の勝つことはなく、互々に日夜他人を惡へ落し合ひをして居るのである、相率ひて一歩々々悪道へ堕落しつゝあるのである、かく言へば人間を甚たしく惡く見たる見解なりと云ふ人もあらむ、されど論より證據、他人の事は兎に角、自身が果して親切を以て勝ちほこれるまで辛抱が出來るや否やを顧みるがよい、諸君は兎に角私は如何程我慢しても兎ても出來ぬ、かく考へ來れば私は罪惡の塊に違ひない。私の周圍は丸で闇の世界である、然るに萬々一親切なる人ありて、私の所作をつくづく眺めて憐むべきものと思ひ、私が其親切なる忠告を拒めば之を不便に思ひ、遂に私が其人を怨み其人を打たんとするに至るも、怨むだけ可愛がり、打たんとする手の下から涙を以て眺めて居る人あ


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らば如何、いかなしぶとき私も此の如き友人が全身込めた同情の涙は、唯一滴で五臓六腑にしみ渡り、身も心も融け合う心地して、其友情の深きに感化せられ、其親切の厚きに感泣して、油然として感謝の念を生じ、自から頭が下りて漸愧に堪へぬ、實に此の如き友人は二人とはいらぬ、唯一人あらば十分である。如何な罪惡の塊りなる私も融かされ、闇の世界も夜が明ける、此樣なる人は慈悲深き人と云ふよりは、寧ろ慈悲が凝り固まりて人となった者と云ふ方がよい、して私は此友人を持ち乍ら今迄其親切に氣が付かなんだ、實に佛陀は此方ある、かく氣を附けられた一刹那に佛陀の慈悲が全身に浸み渡った佛の光が胸の奥まで徹到したのである。我必は佛心に融かされた、に同心の最大良友を得たのである、實に是れ我精神界の生命てある。


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而して翻りてみれば眞實の佛教信徒諸君は、何れも同じ佛心に融合されたのである、してみれば眞に御互に同一佛心と交りたる同心一體の宗教的同胞である。釋尊が親友なりと云はれたるも、親鸞聖人が御同朋御同行と云はれたも決して賛辭ではない。今日世間にて政友とか學友とか穪するものは、多くは利をみて相集る小人の朋黨である。決して正義の下に集る君子の朋黨ではない、故に利を得れば直ちに離合聚散勝手次第である、此際吾人は信仰を煤とし、何れも佛の心を心とし國民全體を宗教的同胞とせねばならぬ、この目的を以て同盟を結びたる次第なれば、實に信仰は同盟の生命である、眼目である、若し信仰の生命なくば、幾千萬人集り來るとも、恰も龍を畫きて晴を點せぬも同樣である。


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二 活ける懺悔

信仰を求むる叫、近頃處々に聞こえ 其聲如何にも切にして何となく張りつめたる胸より、迸り出た響あるは、實に嬉しく懐かしきことである。飢えたるものは食をなし安く、渇せるものは飲をなし安き如く、信仰の饑渇に遇ひ大いに苦しみてこそ、精神的食事なる大安心を得られるのである、されど唯饑渇を訴ふるのみにて、如何にして食事を求むべきかの方法を考へざれは、いつまでも満腹安心の時がなからう。故に私は同好の人と共に切に其方法を考へたい。抑々宗教なるものは、吾々如き不完全極まる人間が、完全無缺の佛陀に融かされるのである、吾々如き残點極まる動物が、慈愛の塊たる佛


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陀の懐の中に入るのである。然るに吾々は不完全であり乍ら完全と思ひ、残點であり乍ら得意がりて居るゆゑ、恰も臭きに居て臭きを知らず、暗に居て暗を覺らぬ人の如く、佛陀の光明を仰ぎ見る心が起らぬのである、若し吾々か自己の不完全なることを悟らば、忽ちすがるべき所を求めねばならぬこと、恰も足に傷つけば杖を求めねばならぬと同樣である、即ち人聞は如何程淺墓なものかを知れば、佛の如何程崇高きものなるかは、自然と別かるのである、結局一時間にても真実自己の罪惡を懺悔すれば、一足だけ佛陀摂取の光明に近くのである。故に懺悔は確かに信仰に達するの道行に違ひない、否眞實懺悔の極點に達したるときは、即ち信仰の猛火が熾んに燃え上がりたる時である。


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されど機悔は最も弊害に陥り安いものである。忽ち形式ばかりに流れがちになる。即ち懺悔の心、胸に満ち、張り裂けむばかりの思が發して懺悔の言葉となるべき筈なるに、さはなくて口先きばかり立派にきまり文句を并べたつる樣になる、かくなれば猿の人真似をなす如く少しもカがない、箇樣な懺悔なれば死んで居る。而して偶力ありげに見ゆるものありても真実其心は無くして、表面ばかり殊勝らしく空涙をこぼすものがある 此の如きは蟻悔にあらで偽善である。かく偽善的機悔をなすよりも、寧ろ不信心の有樣を淡泊に隈なく打明けた方が、却て真実活ける懺悔に近くある。全軆宗教なるものは、人世に於て最も真面目なものである。其真面目な宗教内に偽善の雑るは實に忌々しき限りである。故に予は安心


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を求むる方法として、活ける懺悔が最も適切と考へる、活ける懺悔とは真面目なる少数の同好の人が集りて、一點包み隠さず其胸中を打ち明け、信と不信とに拘はらず、自己の宗教上内心の經驗を白状することである。若し穿ちて言へば、自己が惡いと思へねば兎ても思へぬと有躰に暴露するがよい。されど必の奥底に一點信仰を求むる心だに輝けば、知らず識らず、同朋互に相威化して、其席上に入るときは、はや何となく峻巌なる心持がして、云ふに云はれぬ秋霜烈日の感が起り、敬虔の情が勃々として生し、感謝の念が油然として催し來る樣になる。されど懺悔は内心の事にして、外面にあらはれたるときは抑々末てある。懺悔は自分自身の事にして、他と相語るに至らば直接てない、


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故に予は經驗上次の如き方法が最も善いと考へる。即毎夜寝に就く前に、出來るだけ多くの時聞を費し、其終日中自分がなしたる言語動作、及び心の有樣を跡つけてみるがよい。如何にも自分の不完全なること、残點なること、心黒きこと、つまり罪惡の塊てあることが歴々としてあらはるゝ、余は活ける懺悔の實行法として誓って諸君と共に継続して試みたいと思ふ。


三 外、柔にして、内、剛なるべし

抑々人間は偽善者である、されど人ありて、面り、汝は偽善者なりと宣告するときは、誰しも憤然として怒らぬものはない、是が即ち偽善者の証拠である。之に反して、なにか面り、褒むるときは、多


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少御上手とは知りつゝも、気持が惡くない。これいよいよ偽善者の証拠てある。何となれば、自分が果して偽善者なれげ、偽善者と呼ばれでも常然の事である。萬一真実偽善者でなくば、たとひ人が偽善者と呼ぶとも、平気な筈である。つまり人には惡しく言はれたくないのである。實際褒められる債値なきものでも、褒められたいのである。畢寛内、柔にして、外、剛を欲するのである。一言に云へば即ち偽善者である、虚飾を以て充たされて居るのである。かく言へば人聞を惡しざまに観察した樣であるが、私は是が賓際じやと考へる、之を直接に知るには、自分で自分の内心を解剖するが一番早い。一寸通常別段に惡いと思わぬことも、心中にてつくづくと思い回せば、結局「我」と云ふ考が根本で、虚名虚飾に包まれて、


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行にあらはれるのである。況んや少々でもあまり気色のよくないと思ふ程のことをなしたる時、内心に立入りて考ふれば、實に淺ましき限である。全軆私も隨分我慢な人聞であるから、若し心中に於て一點たとも恃むべき慮あらば、かく弱い音は吐かない、所がつらつら心中を分析して考へるに、耻かしきことには恃むべき慮がない。實に残念至極てある。況んや心中が煩悶に堪へない時、胸の炎の燃ゆるとき、如何なる罪惡ても成し兼ねない、若し人に他心通がありて我心中を洞察するものあらば、再び合はすべき顔がない時がある。熟々思へば起ても居てもゐられない、而して誰も洞察する人がないゆゑ、平然として済まし込むている、實に偽善の極點である。噫實に罪惡の塊りは他人のことではない、して實際は他心通を以て


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洞察して居る人があったのである。佛陀は慥に歴々として御覧なるに違ひない、其佛陀を盲として平気てすましきって居るは横着至極である。死して申譯の立つものならば、誰がとめても死して申譯せねばならぬ、然るに佛陀はかくの如き横着物に對して怒の眼では御覧ない。却て心猿意馬の狂ひ回はるのをみて、悠然立ちで洞察して居られる眼中涙を以て満たされてある。我は罪惡を犯し後悔て胸も張り裂けむばかりである、眺めて居る人は、慈悲が溢れて胸も張り裂けむばかりである、頭がとても上らぬ、口にも何とも言ひようはない。罪惡で出來上りたる脹にも涙が溢れてくる、罪惡の身は本の罪惡の身てある。併闇黒世界に一點の光明がさしこみて云ふに言われぬ楽みがある。すると残念で張り裂けむばかりの胸が、喜びて張り



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裂けむばかりである。今とて偽善者には違ひない、併偽善者が偽善を自覺する筈がない。翻りてみれば唯事とは思はれぬ。既に偽善を知りたる已上は、偽善で得意がりて居るは勿軆ない、慈悲ある人の照鑑に對しては、偽善も罪惡もあったものでない。唯満身威謝の念である。此に至りて今迄煩悶したる心中は、何となく平和を得たのである。自ら驚くばかりの沈静を得たのである。頭は下りて心中は頗る恃むべきところがある。外、柔なれど内、剛になったのである。所謂千萬人と雖我往かむと云ふ勇気は、勃々として起り來るのである。外、柔なるは自己の罪惡を自覺したる結果である。内、剛なるは佛心に融かされた結果である。自己の罪惡を自覺してみれば、我は誰



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よりも一番惡しきものである。故に極端なる謙遜を生ずる樣になる。佛心に融かされてみれば、全く佛の懐に入るのである。故に絶大の抱負を生ずる樣になる。されば宗教家は極端なる謙遜と、絶大の抱負とが結びつきたものである。此二者は實に反比例の闘係を有してゐる、頭を下れば下るだけ、胸は益々大くなる。「愛欲の廣海に沈没し、名利の大山に迷惑す」と。涙を揮て懺悔されたる親鸞聖人の口より、毅然として「主上臣下、法に背き、義に違し、怒を成し、怨を結ぶ」と喝破されうるのである。併此等の言よりも猶著しく、謙遜と抱負とが一言の下に、而も無意識にあらはれたる言がある、即ち親鸞聖人か同信者對せらるる心持である。蓮如上人は之を紹介して左の如く云はれた、「故聖人のおほせには、親鸞は弟子一人も、もた




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ずとこそ、おほせられ候ひつれ、そのゆへは、如來の教法を、十方衆生にとききかしむるときは、たゞ如來の御代官をまうしつるばかりなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如來の教法を、われも信じひとにもをしへきかしむるばかりなり、そのほかは、なにををしえて弟子といはんぞと、おほせられつるなり。されば、とも同行なるべきものなり」とある。智徳兼備の聖人が、愚夫愚婦に對して、豪も先覺と云ふ気色なく、一佛の膝下に同一の佛子として、同信の兄弟として、頭を井へ手を引き、同朋同行を以て待遇さるゝ有樣は、温潤含蓄、無上の有難味がある。併こは聖人か心底より深く信ぜらるゝ所である。自ら決して謙遜とは思はれぬ。當然の事を言ふたつもりである。さればこそ一言一句が極端の謙遜として現は



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れ來るのである。所謂外、柔と云ふへきてある。併この渾然として圭角なき、謙遜極る和言愛語の下に、實に神聖犯すべからざる、絶大の抱負が横はりてある、如來の教法を十方衆生に説き聞かしむるとは如何にも廣大な語氣である、既に自ら佛陀の位置に立たれたのである。私か初めて之に氣付きたるときは、一種峻嚴にして言ふに言はれぬ凛乎たる生氣に襲はれた、次に無意識に如來の御代官と喝破されたるに心付きたるときは、生身の佛陀が、躍如として眼前に出現せらるゝ心持がして、實に渇仰の念に堪えられない、此の如き大膽なる寧ろ尊嚴なる言語が、何にげなく口を衝きて出づるのは、心内に言ふべからざる剛毅なる一物がある證據である、この外柔にして内剛なる味は聖人が自ら愚禿と穪し、且つ「費者の信は内は賢に



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して、外は愚なり、愚禿か心は内は愚にして、外は賢なり」と言はれたるので、其極點に達して居る。然るに熟々人間の有樣を翻りてみるがよい、實に内は愚にして外賢ではないか、外剛にして内柔ではないか、洵に懺悔に堪へぬ、殊に痛嘆に堪えないのは、吾々宗教家の氣風である、彼の外柔にして内剛なる真似をなし、眞實内に剛なる所を蓄へずして、外面の柔を飾りて如法面を装はむとするゆゑ、内が柔なる上に外まで柔となり、徹頭徹尾柔弱極まるなまこの如き人物となり、信仰の上にも佛の懐に抱かれたる剛毅の所を撰まずして、平気な顔で惡人の看板を掛げて邪見を働く、結局、偽善の上の又偽善である。實に恐ろしき極點である。御互に自策自勵、佛陀霊光の攝受を仰ぎて立脚の地盤を固め、



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腰骨を強くして働ける限り働き、教界儒弱の氣風を一掃せずんば、佛陀の照鑑に對し、聖人の遺霊に對して、漸死するより外はない。


四 聲を聞くべし、光を見るべし

宗教は理屈ではない、考へることではない、理屈を并べたり、考へたりした安心なれば、忽ち又理屈で砕くことが出來る、考へ直せは夢の加く消える樣になる、全體理屈程間接なものはない。佛陀と人間と融和する安心の境界が、間接なる手段で達せられる筈がない。是非とも直接でなくてはいかぬ、人間が佛陀と觸れ合はねばいかぬ。佛陀の聲を聞かねばならぬ、佛陀の光を見ねばならぬ。かく云へは甚だ神秘なことを云う樣であるが、之を人々實驗に徴し



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てみれは明らかに分かる、先つ宗教でなくとも、世間道徳の上につきて考へるがよい、俗に『良心の聾」といふことがある。我々か惡をなさむとするときは、何んとなく後髪をひかるゝ心地し、下さむとする手を引きとめる必地がする。若し思ひ切りてあくを断行したならば、實に良心の呵責に堪へられない。幼少なる時私には一種の家癖ありて、夜半静坐して、読書でもして居るとき、突然過きた昔の失錯を想起して、残念で堪らず、何にか其處にある物を投げたき心地がした、現今は全く其跡を絶ちた、とにかく良心の命令は直接なものである。恰も心の中に聲か聞こえる心地がする。況んや宗教の事に至りては猶更のことである。吾々か知らず識らず、罪惡の生活をして居るとき、突然其惡に気付当たるとき、満身懺悔の念を生じ、



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神身惱亂するとき、心の底に佛の御聲か聞こえる、備の救ひが聞こえる。又何事か不如意の事ありて、精神欝々として恰も闇黒の世界をたどり、心中昏々として一點安心の餘地なく、起ても居てもいられぬ心地したるとき、忽然佛の慈悲に氣がつきたる有樣は、恰も曙光が闇室に照り込みたる氣持がする。たしかに眼前にありあり佛の光をみる心地がする。此佛の聾をきくは耳できくのではない。心できくのである。眼でみるのではない、心でみるのである。否佛の聲は面り人の聲をきくよりも慥である。仏の光りは現前の事物をみるよりも慥である。實に一念凝りて心の夜か明けたときは、光りは眼で見たか、心で見たか、分からない。助けの聾の聞えたときは、其聲が内より來たか、外より來たか、分らない。ソクラテスが常に神



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の聾を聞いたと云ひ、韋提希夫人か佛の光明を見たと云ふも、恐らくは此有樣を云ふた者であろう。真宗で聞其名号とか觸光柔軟と云ひ、禪宗で見性成佛とか冷暖自知とか云ふも、安心の薀奥を能く言ひあらはしたものである。全體理屈でこねまはすのは間接である。そして五官の作用は最も直接である。佛と接觸するも直接である。其直接なる信界の有樣を、聞くとか見るとか云ふ言語てあらはすは實に適切である。物を見たと云ふに何故といふ理屈はない。聞えたれはこそ聞えたといふより外はない。味はひてこそ、初めて味を知る、佛の慈悲の有難さは唯有難いと云ふより云ひ樣はない。



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五 我を捨てむと欲すれば拾っる能はず

人間の思想及び行動は、皆自己を以て標準として居るのである、故に吾々日常の舉動に於て、一として自己と云ふ考を離るゝことは出來ぬ、たとへば他人を疑ふことありたるとき他の友人が來りて、汝は全く邪推をして居るのである、決して先方が惡意がある譯でない、夫を疑ふは汝の誤謬であると種々に辨解することあつても、一旦深く疑い込みたるときは先入主となりて、中々疑を散ずるととは出來ぬ、時としては理屈は十分明了であつても、中心とても信ぜられねことがある。終には全く自己の誤謬たるとこを知りつゝも、却て自己に好都合なる材料を求めて、之を議論の立脚點として主張すること



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がある、要するに、人間は自己が現在の自己を誤謬なりと覺悟することは出來ぬ、若し之を覺悟する人ならば豪傑である、寧ろ「我」を離れた達人である。勿論時として自己の誤謬を悟ることあるも、此の如き場合は過去に於ける自己の考を現在に於ける自己の考で打消すのである。結局現在の自己と云ふ考が、最終の標準である、「我」が立脚の點である。此の如く考へ來らば、吾人は「我」を離れざれは眞個に公平に考ふることは出來ぬ、萬事につけ疑團を氷解することは出來ぬ。故に先づ我を拾つべき必要がある。されど「我」を捨てむと欲すれば「我」を捨つることが出來ぬ、何んとなれば「我」を捨てむと勉むる心が即ち「我」でないか、一我去りたる時新らしき一我が來るのである、「我」



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を捨てむと我慢を張るだけそれだけの「我」が出來るのである。聲を以て聲を制する如く、血を以て血を洗ふも同樣である、全體「我」は吾人の立脚點ではないか、而して自分のカで其立脚地を離れむと勉むるは、恰も自身の腕を以て自身の身體を揚げむと試みると同然である。手に力を入れて引き揚げる丈、足に力が入りて下へ踏み下げるのである。釋尊が阿邏羅仙人と問答せられしとき、仙人が我既に我を捨つと云ひたるに對して、佛陀が既に自ら稱して我既に我を捨つと言ふ、是れ則ち眞實我を捨つとは名つげざるなりと喝破されたところである。抑々「我」を捨てむと勉めて居るが大なる誤謬てある、標準としたるもの、立脚點としたる「我」なるものが無いのである。本來無我なのである、疑ふベき根據がないのに、勝手に白分で疑



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てゐるのである然らば如何にして本來の無我を悟るべきか、自分勝手の疑を晴らすべきか、是最も吾人の聴くべき點である、先づ吾人日常の賓験に徴してみるがよい、心中深く感激する所ありて、奮然己を忘れ正義の為めに起つとは困難でない、されど自己の名利心を屈伏して一々私を抑へて行くは洵に六つかしい、又大に忍ぶべきことありて、涙を呑むで『我」を厭伏せんとするとき、時として身體を一寸切りにする思がする、是「我」を以て「我」を抑へむとするからである。然れども若しこは自己の為めに忍ぶのではない、大體の爲めに盡すのであると云ふ自信力を抱くときは、頗る平気にして鼎鑊飴の如しである。是が無我を以て「我」を拂つたのである、蘭相如か趙の壁を取り返へしたは



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眞似し安けれと、廉頗に對して一片の私情を止めざりしは決してすべからざることである、されど全く趙国が眼前に敵を控へて居るといふ事を達観したる公平無私の徳より來たに違いない、去ればこそ我を以て塊まりたる廉頗の心が融けて、蘭相如と同樣の心となったのである。今安心問題につきて蘭相如の如く直に自身で無我の境に達すれば自然に「我」が捨てられる、力味心の「我』を以て「我」を捨て樣とすれば却て「我」が募りて來る、故に蘭相却の樣に自身で「無我」の境に達すれば格別の事、寧ろ私の擬する點は、蘭相如の精紳に感激したる廉頗の疑が解けた心持である。「我」を以て響きたる聲には、忽ち「我」の反響を以て報ゐてくる。己を忘れたる満腹慈愛の同情に對しては



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己を忘れたる満身の感謝より外はない。佛陀が吾人に對せられたる同情は如何、縦令身を諸の苦毒の中に死するとも忍て終に悔ゐぬと云ふ決心である。蘭相如の忍耐も物の數ではない。吾人は此「無我」同情の聲を聞かば至心信楽己を忘れ、佛陀の膝によりて感泣するより外はない。


六 佛の人格

佛は慈悲の塊である、佛は智慧の塊である。私は常に考へて居るに、は慈悲ある人、智慧ある人と云ふよりも、寧ろ慈悲が凝り塊まりて人となり、智慧が凝り塊まりて人となりたるが、即ち佛であると考へている。吾々は随分罪惡の深きものである、されど情ある人の



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心は自から私の心に映りてくる、吾々は随分不明のものである、されど智識ある人の啓發を蒙れば、智識の範圍が一歩づゝ廣くなる、吾々は自己を顧みれば、甚しき冷點なるものである。甚しき暗黒なるものであると云ふとは、十分自覺して居るが、世には其中に暖かき情なるものがある、又智識の光があると云ふことは、經驗上確であると考へて居る。果して情なるもの、智識なるものがありとせば、世には無限の情なるもの、廣大の智識なるものもあると考へる、此無限の情が塊まりりて人となり、無限の智識が形にあらはれて、吾々に無限の感化を與へらるゝが佛である、一飯の情も身に感じ、一言の忠告も猶心に徹するものなれば、まして、此無限の情、無限の智識が、いかで吾々を動さゞることのあるべき、いかに冷點なる胸中



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とはいへども、自づから暖かき春を生じ、いかに闇黒なる限中といへども、自づから希望の光明が輝きてくる、是が私が經驗の上より來る佛である、人格ある佛である、吾々が人である巳上は、人格ある佛でなければ、私の心に適切でない、確かと佛の手に觸れねば安心は出來ぬ、歴々照鑒し給ふ佛あればこそ、日夜冥見に耻入りて日暮が出來るのである。佛は實に絶對の境界である。吾々如き豆の如き眼を以て臆測することは出來ぬ、されど眞如とか法性とか云ふときは、漠然として、取りとめなきものゝ樣に考へ、恰も大風に灰を撒きたるが如き感を生じ、望洋の嘆を發する弊がある。故に此絶封中に融合したるときは、吾々の個人性も減却せられ、恰も大海中に溺死するものであると考



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ふるものがある、こは大な誤解である、佛は此の如き血もなき、涙もなき、枯木死灰の如きものではない、若し佛が如何なるものかを知らむとすれば、此絶對に融合して、人世上に形をあらはせる佛をみるがよい、即ち歴史上の佛陀をみるがよい、即ち迦耶の釋尊は生ける應化身とを具へたる絶對である。釋尊の歴史を繙くときは、如何にも圓満完全なる佛陀の人格が吾々の眼中に髣髴として現はれてくる、即ち釋尊の歴史を透して、佛陀の俤を伺ふがよい、近時歴史的の研究が盛なるより、今迄高閣の上に束ねられてあった佛陀の眞面目が人世上に活動してきた心持がする、されど私は根據を歴史上の釋尊のみに置きて、信仰を立つることは困難と考へる。つまり、徹頭徹尾釋尊を以て一人間として眺める丈では感服が出來ぬ、若し



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かく眺むるときは、唯一個の達人である、一個の豪傑てある、宗教的の信仰は決して英雄崇拝のみでは成立しないと考へる。始なく、終りなき、眞如絶對の妙境界は、如何にも廣大にして、鑚仰に堪へない、されどあまり遠くして吾々の手が届かぬ心地がする、又始あり終ある歴史上の釋尊は、如何にも適切にして感激に堪へない、されどあまり近くして永遠安心の根據としては猶奥底がある心地する、然るに此ニ者の間に立てる始ありて終なき因願酬報の佛陀なるものがある、是が即ち慈悲の塊である、智恵の塊である、而して正しく佛陀の人格は此處にあらはれてくる、吾々の手の觸るゝ佛である。一たび手が觸れた巳上は、無量劫を盡し、無邊際を究め、恍惚として其胸中に鎔融さるゝのである、實に楽の極點である。



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費地を白狀すれば私は久しき開始ありて終なき佛があると云ふことが合點が行かなんだ、会體理屈でいへば始なければ終なく、始あれば終あるが當然である、然るに終なき佛にして始あると云ふことは、頻る疑を挟むだけれどふりかへりてみれば此始ある點が最も喜ぶベき點である。此始が吾々の安心出來る根據である、何んとなれは佛陀の情は佛陀の始に於てあらはれてある、佛陀は吾々を救はむためにあらはれたのである、慈悲が塊まりて初めて佛の始が出來上りたのである、智慧が塊まりて佛が出來上りたのである、即ち吾々を救ふため自ら人格化したのである、されば人格ある佛なればこそ始があるのである、其始ある點が有難い、是あればこそ、歴々として身にひきうけられ、油然として感謝の念も起る、つまり最も疑ひたる點



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が最も感謝に堪へない點であった。已上は会く自己の信仰の經験より割り出した佛陀である、後から気がついてみれば、古よら唱へて居る佛陀三身説と、何の異る馳もない、彼の三身説なるものは、信仰の經験の結果によりて鑛を鍜ひ上げた教理である、暦史的批評で其價値を上下出來るものではない、かく佛陀の人格を信仰すれば直ちに其佛陀の居所を求め、又其膝下に行きたいと云ふ念慮は勃々として頗る切なる想がする、此に於て今迄研究上に於て決して通過すべからずと覺悟したる關門は、内的經驗によりて容易に通過しえたるのみならず、顧みれば是れ吾々を誘ふために、久しき已前より先方より開かれたる門戸であった。打明けて云へば他宗の批評をするではないか、私は耶蘇教で始なく終



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なき神が直ちに人格を有すると云ふことは、とても合點が出來ぬ、定めて耶蘇教信者を以て自任して居る人でも、随分苦心して居る人も多いと想像する、私は寧ろ情と智識が凝りて出來た始ある佛陀の人格が嬉い、是が私の信仰の中心である。



七 地を固く蹈め、されど常に歩を進めよ

人は立脚地が肝腎である、足下が確でなくては不安心極まるのみならず、とても何事も出來るものではない、今にも破裂せんとしてぐらぐらとしたる火山の地層に立つときは、気が穏にならぬ、まして其上で立働けるものではない、吾人が社會に起つも同樣である。確かと地盤を蹈みしめざれば、足にたよりなくして、とても重荷を負ふ



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て行動することは六かしい、この人間の地盤とは外ではない、即ち信念のことである。抑々宗教は人心の秘奥を穿ち、人情の精髄を鍾めたるものなれば、苟も人間たる以上は宗教なくては叶はぬ筈、之を何か外部より貼つける樣に考へるは大なる間違である、時機圓熟して、霊界の手が直接に心の絲に鯛るゝときは、何人と雖、言ふべからまる微妙の音が胸の中に聞ゆる、全體宗教は此の如き幽玄の境界である、故に氣の浮き浮きしたことでは迚も此境を伺ふことは困難である、私は平素考へて居るに、宗教は人間天賦の性質として、誰にも普通なるものとは雖、其中にても宗教に適する人と適せぬ人がある、經佻浮薄の輩は、中々宗教には縁が遠い、宗致を信ずるには兎角眞摯でなくて



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はならぬ、沈静でなくてはならぬ、比の如き落付たる人は洵によく宗教に適する。適する故に信念が深くなる、深くなるが故に盆 落付てくる。遂には確固不動の地に達して、世間の風波の爲に足元を襲はれる恐はない、恰も海底の地盤より生ぬきたる萬尋の孤島の如くある。而して彼の気の浮き浮きしたる人でも、激烈なる困難に遭遇して宗教の感化を豪り、胸中一個の信念を抱くに至るときは、奇妙に性質が一變し、大層眞摯になりて、慥かに其人の品性が高まりてくる、現に私の知りて居る人の中にても、以前は随分經躁たりし人が、宗殺を信じたる爲め、非常に沈着な人となり、迚も前後同人とは思はれぬ樣になりた人がある、殆んど心理的組織が一變したかの如き感がある、實に信念程恐しきものはない。



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何故宗教の力がかく偉大であるか、全體人は理屈で定めて居れば、又理屈のカで破られる、感情で激せられて起ったものならば、感情のカで動かされる。ともかく人聞のカで出來たものならば、人間のカで壊すことが出來る、されど霊界ので呼び起されたものは、何物で本之を動かすことは出來ぬ。何んとなれば霊界に打勝つべきカがある筈がない、又震界のカが二つとあるべき筈はない。言い換ゆれば、佛以上のカもなく、又其佛は一佛である。前に云った霊界の手に觸るゝとは、即佛の手が直接に心に届いたのである、吾人は表面よりみれば所謂渺たる蒼海の一粟で、絶海の孤島も同樣なれど、霊界絶對の地盤と連がった巳上は、確固不動なのは決して怪しむべきことではない、寧ろ當然のことである、私が地を固く踏めと云ったは



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此味である。かく地は固く蹈まねばならぬ-されど蹈みしめた足を、一歩一歩着々と進めねばならぬ。世に随分、固く踏みしめたばかりで、頑固に付立し得意がって居る人がある、こは沈滞したる信仰である、化石したる信仰である。全體信仰には生命がなくてはならぬ、進歩がなくてはならぬ、こは信者を以て自任して居る人に注意を望みたい、自ら信仰を得たりとて役済したる樣比考へて居る弊がある。事既に成れりとて棚に上げて置く癖がある、得たと思ふは得ぬのである、放行するときは、後を顧みてやれやれと思ふたときは、即ち足の止りた時である、唯遙かに前途を望みて、地を固く蹈みしめて、一心不亂に進むベきである、此は信仰の純經驗上言ふべからざる妙味



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の存する點である。学問をして十年研究の後猶定見のなき人がある、而して常に經々しく断案を下すべからずと云つて大事がつて居る。此の如き人は遂に一生の間定説なくして墓の下に眠らねばならぬ、こは所謂信念なき人である、之に反して模型に入れて作りたる樣にきめこむで、千篇一律毫も發達せね學者がある、こは所謂活動なき信念を抱きた人である、私は考へるに、苟も學者たる已上は何時でも確固不動の定説がなくてはならぬ、されと其定説は固執頑隔に陥つてはならぬ、何時でも確固不動、確固不動で、一歩づゝ繼續進歩せねばならぬ、信仰も全く同じ趣がある、所謂宗教的修養を要するのである、されど修養と言へばとて、同じ道を反覆往來して弄ふことではない、然るに修養



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を恰も書物の反讀の如く考ふるものがある、こは矢張信仰を以て模型の樣に考へるから起る弊である、私の云ふ修養とは、善に遇ひて溺れず、惡に遇ひて屈せず、幾多の心内の苦悶、外部の困難と打勝って信念を試めし上げることである、悟後の修行とか後念相續と云ふとは實に此信念の試めしである、此の如き信念にあらざれば、恐くは此活動社曾に處するに何の益もない、寧ろ遁世隠居して枯木死灰の如くなりたくなるだろう、此の如き信仰ならば、信仰の形を眞似て居る偽信仰である、抑も信仰の地盤は霊界ではないか、生きた佛陀ではないか、既に霊界たる已上は活發地のものでなくてはならぬ、既に佛陀たる己上は慈悲の光りに融かされねばならぬ、此活動の地盤に立てる信仰が、頑冥不靈の死物たるべき筈はない、慈悲の光



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に融かされた信仰を抱きて、冷然として罪惡の社曾より隠遁して、巳を潔く出來る筈はない。


 八 信界に於ける監獄

プラトンが物質は觀念の囹圄にして、肉體は靈魂の監獄なりと読破したるは、洵に高尚幽玄の見解である。心静かに冥想するときは、無絃の琴は千古宇宙に響きて居る、しかるに糸を彈じて初めて聲ありと思ふ所謂俗耳と云ふものである、夫と同じく吾人の心も宛轉滑脱言ふべからざる徴妙のものにして之を縦まゝにすれば飄然天風に御して、六合に彌蔓し得べきものである、されど人聞は肉體あるが爲め、其中に監禁せられ、齷齪として生を求め、死を避け、日夜蠢



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蠢として蠕動し、溷濁なる一塊肉として一生を送るは、洵に殘念至極である、こは哲學の理屈でこね廻はさずさも、寧ろ人間の眞相を大觀し來れば、經驗上誰しも想ひ到ることである。地に書きて囹圄とするも、之に入るととは好ましくない、況して吾人が囹圄に居るものと自覺してみれば、速かに之を脱して、自由の天地に逍遙したい、されど吾人が人間たる已上は肉體を無くする譯にはゆかぬ、肉體がある已上は、食せずには居られない、飲まずには居られない、してみれば吾人は生命の存する限りは、此監獄を脱することは出來ぬ道理である歟、これ最も注意すべき點である、倩々考ふるに、肉體自身に罪があるべき筈もなく、飲食自身が決してふべき譯がない、肉體に固執する慾心に罪があるのである、飲食に



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耽る愛着が嫌ふベきである、若し肉體ありと雖、其心が清らかにして泥中の蓮の如くむば、決して形體を罪すベきではない、故に形ある肉體を以て監獄と云ふよりも、寧ろ形なき慾心を以て監獄と云ふが適切である、煩悩の繋縛とは中々昧ある語である。既に吾人の心が吾人の慾心の爲めに繋縛せられて居ると覺りてみれば、是非とも吾人は此繋縛を解脱せねばならぬ、そこで吾人の心中で善き心と惡しき心と戰爭が起る、そうして其戦争の結果は如何であるか、吾人は内心の經驗に訴へて考へてみるに、何時も惡しき心が勝閧を舉げて居る、凱歌を謠て居る、然らば如何にして此勢力ある惡しき心を退治すべきか、私の考にては、唯辛抱強く善心を發達せしめて、其力を以て惡しき心起る度毎に、用捨なく其首を馘るより外



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に策はない、かくする中に修養の結果で、如何にも善き心になった氣持になる、かく善き心が發達してみれば氣持がよい、愉快である、随分骨は折れるも、骨折りた丈の快感がある、勿論人は気儘放逸に幕すも一種の下等なる快戚はあるが、之に打勝ちて自ら清淨にすれば、又一層高尚なる快感がある、最も我は善を爲せりと云ふ感覚には特別の昧がある。寧ろ善自身を樂むと云ふよりも善を爲したりと云ふ點が樂しい。飜て世間をみれば、随分淺間しき暮しをして居ることがよく分ってくる。他人の缺點は歴々として目に映る、世舉で皆濁れり、我獨り清めりと云ふ感を生ずる。他人は随分我に對しても不人情である、されど我は勉めて厚意を以て之を酬ふことゝする、勿論心中は頗る苦しけれど、我は怨に報ゆるに徳を以てせりと云ふ考



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で、満身の勇氣を以てこれを忍んでゆく、ところが人間は随分薄弱なものである、一度二度は忍ぶことが出來るが、忍べば忍ぶ程いかにも他人の不人情が腹立たしくなる。是程までに厚意を盡すに、如何にも他人が不感謝であると思えば、單に自惚心に止まらずして、遂には心中に頗る不平欝勃として、起ても居ても堪へられぬ樣になり、結局善を為さぬときよりも、却って心が安らかにない、今迄悪しき心の繋縛を、善き心で断ち切ったと思ふたは大いなる誤りにして、其善き心が却って又我身を繋縛するものであった。却って一種の虚飾心を起こして居った。驕慢の世界に堕落していった。悪しき心の鐡の鎖を脱したはよけれども、又善き心の金の鎖で繋がれた、してみれば、悪しき心のみが監獄ではない、善き心でも力味心のある間は、如何にするも監獄を脱することは出來ぬ。此に至りて我は失望



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するも監獄を脱することは出來ぬ。此に至りて我は失望千尋の淵に沈んだ、落膽萬尺の谷に陥った、初めて人間の價値は此位の物なりと分った、噫、吾々の身も心も監獄である。悪しきも善きも監獄である。今はたゞ悪しきも、決して我自ら手を下すことが出來ぬ、浮ぶも沈むも我力にては迚も及ふべからず。たゞ善き人の差圖に任せ奉るより外はない、悪しき所に往かむとするも我計ひにては叶はぬ、我は毫も自由なき身であるが、幸に攝取の手に触れ奉りてより、廣大なる心光中に徜徉してみれば、他人を左程不足とも思はぬ、我が全體空虚なるものゆゑに、又少々の親切をなしたりとてあまり立派なことをなしたりとも思はぬ。佛の親切に較べなば無きも同樣であるゆゑに、此に初め心廣



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ろ廣ろとして自由の天地に出して貰った、噫、翻りてみれば力昧心が信界の監獄であった。我經驗によりて懈慢界の味が分った、所謂七寳牢獄の恐るべきを悟った。巣鴨三千の囚徒が法縁を絶たれたと聞かれたる時は、苟も信仰の經驗のある人は坐に心を動されたるならむ、況して現今満天の同胞は、信界に於ける監獄に監禁せられて、三賓の慈悲に離れて居るのをみて、同情の涙を灌かずには居られまい。一日も早く我同胞を光明ある世界に救ひ出さねばならぬ。



  九、詩的信仰は一種の懈慢界なり

世に一類の學者ありて、宗教も一般社会の為には随分必要であると



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論ずる人がある。此種の論者は宗教に對して社會的観察をなし、其道徳的感化の偉大なるを認めたりと雖、此の如き口吻を以て宗教を評する間は、口には必要と言ひつゝも、其人自身の為めには宗教の必要を威じない証拠である。此人々の頭脳に映ずる宗教観なるものは、多数愚人に對する假設的方便説にして士、大夫學者は之を待たずとも道徳の賓行に差岡ないと云ふ考である。此等の人は第三者に立て宗教の社會的方面を眺めて居る。若し一歩進みたる人なれば宗教に對する詩的観察が始まってくる。即ち宗教も中々面白き點があると考へる。先づ宗教者の傅記を見て、頗る痛快なる活劇である、高壮なる行跡であると考へ、一種言ふべからざる狂熱を有して、一生の始終したるを驚嘆し、又其説法の縦横無盡にして捕捉すべからざる


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をみて、頗る興味ある説話なりとし、想像力を馳すること如何にも人の意表に出でたるに驚き、所謂方便説として冷眼視して居る人とは異りて荒誕であるとか、或は虚構であるとか云ふ鮎は問はず、寧ろ其理想の高大なるを喜び、情操の高潔なるを嘆ずる樣になる。此種の人は慥かに宗教に對して詩的観察をなす人である。既に詩的観察をなすに至れば、所謂宗教必要論者とは異りて、宗教の心理的方面を観察して居る。されど観察は観察である、矢張自分は第三者に立て居る、未た直接に宗教に觸れたとは云はれぬ。勿論宗教に對して一種の興味を見出したるに違ひない。然れども未だ宗教を以て真實なりとする観念が薄い。動もすれば、此等の人の宗教観は、宗数的性格を以て病的と考へ、宗数的説法を以て詩的想像と観察する、



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結局宗教を以て内心の投影として其實在を認めて居らぬ。若し心の奥底に一點此等の心が存するときは未だ、信仰の門戸に達したとは云はれぬ、或は宗教の一滴を昧ふたものと云てもよいかもしれむ、しかし信仰的に味ひたるのではなく、詩的に味ひたるのである。真面目に宗教を握ったのではない、道楽的に宗教を弄んで居るのである。抑々信仰なるものは宗数を以て實在なりとし、眞實なりとする考が中心でなくてはならぬ。如何に宗教を高尚なりと考ふるも、微妙であると考ふるも、又極めて愉快であると考へても、若し眞實なりとの観念が伴はざれは、悉く根據なき浮々したものとなる。かく云へばとて決して強制的に信條に服従せねはならぬと云ふのではない。私は勿論模型に鋳込めた樣な毫も活動なき毫も情操なき信仰は好まな



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い、寧ろ此の如きものは信仰とは認めない。去り乍ら又極端に活動を以て宗教とし、情操を以て宗教と考ふるは大なる誤である。近時宗教が信條的の信仰を脱して、活動的の信仰、情操的の信仰が熾んになつて來た。是慥かに宗教か新生命を吹き出してくる徴候にして、順序として宗教の社會的方面、信仰的方面が芽を出して來たに相違ない、私の如きも此方面につきて自己も脩養も重ねたいと考へて居る。こは、前に云へる社會的観察、詩的観察の如き第三者に立て居る者とは異りて、確かに信仰の範囲に入るものに違ひない。されど單に社會的の活動のみを以て信仰とし、人間の情操のみを以で信仰とするときは、信仰に眞實の観念が伴はぬ。若し眞實の観念が伴はざれば決して、真面目になるものではない。宗教の眼目とも謂つべき眞



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摯と云ふことが伴はぬ、若し真摯の気風なくむば、如何に活動あるとも、好むで事を起し、平地に波瀾を生ずる樣になる、若し眞摯の精神なくむば、如何に情操を高尚にするとも、道楽的に信仰間題を弄び、物好きに安心問題を呼ぶ樣になる。こは前に云へる如き、宗教を詩的に観察したるではない、併確かに詩的に宗教を信仰して居るのである、宗教を想像とは思はざるも、其信仰の心待が慥かに詩的である。詩的信仰の地位に居るものに對して、試みに眞實の観念なきや實在と思はざるやと問へば、勿論眞實と思へり、實在と思へりと答ふべし、何んとなれば既に幾分か信仰の地に達せる故である、されど果して真摯に然るや否やを考ふるに雛る疑はしい、盖し詩的に観察する



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人なれば、意識的に興奮眞實の観念なき事を自覚するが故に、一且其非を悟れば進むべき路は前に開きて居る。之に反して詩的信仰の地に陥りたる人は動もすれば古來の信條に對して疑を叱挟さまぬ程迄自ら眞實の観念に住せりと考へ乍ら、其實は眞實の観念が伴ひ居らぬ、即無意識に眞實の考を拒んで居る。自己の未熟を自覚して居らぬ、自覺して居らぬ故に頗る得意である、握つたつもりで握って居らぬのである、こは世の所謂未信者と云ふものよりも寧ろ、信者を以て自ら許して居るものに多い。古來宗教の實修法は静坐と懺悔の二方法を出でない樣である、而して生悟りをして得意がり、若しくは虚偽の懺悔をして得意がつて居るものは固より論外であるが、餘程真面目に行ふて居る心持で居ても、静坐して愉快であるとか、若くは胸臆を披



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瀝して愉快であるとか、愉快と云ふ形容詞を以て言ひ顕はす樣なることでは、頗る警戒を要するのである。頗る危險に瀕して居るのである。爾窓燈を剪りて同心の友と語るは洵に會心のことである。況んや宗教の事を語るに至りては、他に知るべからざる快がある、併快を以て形容することの出來るのは、畢竟詩的信仰の面目を顕して居る、言には云い顕はし難きも一點何處かに餘裕が存して居る、氣樂な心持が顕はれてゐる。眞摯の態度は所謂頭燃を拂ふが如き有樣でなくてはならぬ、抑々愉快など云ふ形容の出來るのは、人と人とが語りて居る心持であるからである。人相語るなればたとひ宗教の事を語るとも、そは俗談に過ぎないのである。全體懺悔は人と佛と相語るのである。満身敬虔の情と、感謝の念が溢れて居ねばならぬ、此境



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にありては眞實の観念の有無抔云ふにも及ばぬ話、満身威謝の念と共に、所謂大歓喜の情操は溢れてくる、愉快なと云ふ形容詞では頗る物足らぬ心地がする。静座をして揄快がって居るは如何にも気楽樂である、經驗談をして面白いと云ふて居るは真摯でない、沈空の無難とか疑城胎宮とか云ふことは、其實驗上より來る一大警戒である。實に詩的信仰は人をして小康に安んせしむる懈慢界である、回顧し來れば全體私の如き信仰談を書きて居るも慥かに此界に堕落して居る、氣がついてみれば悚然として穴にも入りたい。静座若くは經驗談をするときは互に粛まねばなりませぬ。



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10 宗教心は最健全なる常識に外ならず

宗教心とか宗教意識とか名くるときは、常識已外の精神作用であるかの如く考ふる習慣がある。これが抑根本的に誤謬である。故に信仰とか宗敢とか云ふときは、世人は忽ち常規を逸したるものと考へて居る、何か神霊なる寧ろ奇怪なる精神現象であると予定して居る、所謂郭然大悟とか、信心回向とか、インスピレーションとか云へる言語には、自ら言ふべからざる高尚の精神状態であるこことを顕はすと共に、常識を以て測るべからざる精神状態であるといふ思想を運んで來る、特に燃ゆるが如き信仰とか、狂気の如き熱情と云へば、寧ろ常識已外でなくてはならぬと云ふことは、信仰状態の一要件であ



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るかの如く考へらるゝ、故に熱心に信仰を求むるときは、通常では満足出來ぬ、出來るものなれば不思議な目に遇ふてみたい、奇蹟でも夢みたいと云ふ樣なる妄想を抱く樣になる、夫故世人は所謂宗教心を以て病的であると云ふ樣になるが、啻に世人が云ふのみではなく、信者自身も病的の如き状態に陥らざれば、宗教意識と云はれぬものと考へてくる、畢竟精紳を一點に集注して、他を顧みす、狂氣の如く、炎の如くならざれば、眞實の信仰とは云はれぬと考ふる事になる。要するに常識を離れたるものならざるべからずと考ふる事になる。果して信仰が此の如きものならば、頗る不健全なものである、私は考ふるに宗教心なるものは此の如き奇怪なものではない、寧ろ最も健全なる常識に外ならずと思ふ、全體宗教を以て神聖なるものと考ふ



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るはよけれども、其極建に人間の企て及ぶべからざるものゝ樣に考ふるは非常なる過失である、若し果して人間の企て及ぶべからざるものならば、夫は宗教ではない、抑々既に宗教と云へは、佛と人との融和を意味するものである。既に佛と人との融和なれば、人として其常識に訴へ、人として其性質に叶ひたるものでなくてはならぬ。若し常規を逸し常識を脱するものならば、其は吾人人生界の上に存する宗教とは名づけられぬ、若し常識を逸したるときは、或は超絶的であると考ふることも出來る、然れども其超絶なるものが,人間と云へるものを標準として考ふるときは、常人としての性質を逸したるものにして、所謂病的と云はなければならぬ、私は考ふるに宗教は人間の人間たる真髄を顕はしたるものである、隨て所謂宗教心なるも



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のは、吾人の常識が最も健全に發達したるものである、即ち各自其宗教意識を自省してみるに、假令如何なる樣子に顕はれて居ても、決して常識を脱するものでない、寧ろ常識として最も健全なるものにして、宗教心なるものは模範的の常識である、隨て宗教なるものは模範的の人間界を顕はしたるものである、常規を逸したるが宗教の一要件にあらずして、寧ろ常規を逸せぬと云ふことが一要件である、是が人間として佛陀に融合したる味である。然るに宗教上に於て開宗者の傅記を見るに、殆ど常識已外の事蹟が現はれて居る、釋尊が老病死をみて非常の威を起され、儲位に在て夜に乗じて、王宮を遁れ、山に入られたるが如き、如何にも常識を以て想像す可らざる事である、ルーテルか野外を徜徉して突然同行の友



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人が電光の爲に打たれた時、天の超せる恐怖により、法科大學在學中であり乍ら、早速寺院に入りて僧侶となり、非常な憂鬱に沈て懺悔をこととしたるが如き、決して通常でない、されど此等は何れも眞摯なる行爲にして、即自己が感じたるとき、忽ち行爲に現はれて、其間一髪を客るゝの餘地がないのである、而して釋尊が所謂十二年の間諸種の宗教的經驗を積み重ねられた時、其心中は頗る苦悶されたものとみえる、其精神界裡の煩悶の樣子は、是又確かに常識を以て推すべからざる有樣である。釋尊と阿羅邏と問答の折、阿羅邏が哲學的論議を弄して、釋尊に對して抗辯的態度をとりたるとき、釋尊は答へらるゝには、我は我心中の苦悩を解脱せんが爲めに遠く來りて教を請ふのである。恰も病人の醫療を求むる如く切なるものが



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あるのである、左樣な戯論をなすためでないとて、即座に袖を振て去られた。實に信仰の問題につきて議論的態度をとるものゝためには眷々服膺すべき訓誠誡である、偖此苦悶の最後に遂に精紳的の妄想即悪魔を剿絶して、所謂廓然大悟の樂境に達せられたるのである、此安心の地に達せんとする前驅として、非常な精神上の苦悶がある、之を若し平生悠々閑々として、戯論をなして、呑氣にして居るものゝ目よりみるときは、如何にも狂氣の如くあるのである、常識を逸したる行動の如くみゆるのである、此苦悶が中々通常でないのである、釋尊が自ら病者が醫療を求むる如くと形容されたは、如何にも適切なる形容である。されど全く眞摯なる人ならば、かくならざるべからざる道理にして、所謂頭燃を拂ふが如く一刻も猶餘する餘裕がある筈



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がない、されど決して常規を逸したる意識ではない。殊に宗教心と穪すべき點は此煩悶の心ではない、此煩悶を脱し來りて後、従容迫らさる廣廓なる精神界である、此境に至りて其胸中に起れる宗教意識なるものは、毫も常識と異るものでない、寧ろ最も健全なる常識にして、人間意識の標本とでも稽すべきものである。併此苦悶の時の意識につきては大に注意すべきである。動もすれば殆んと意識已外に逸したるかの如くみえる人がある。マホメットやスウェーデンホルグの如きは頗る怪しい、今日にても宗教熱心より遂に罪悪妄想に陥り、或は種々の迷信を抱く人がある、是最も注意すべき鮎である、此苦悶の時常識を逸してはならぬ、既に此苦悶の時常識を逸せずして、治ひ上げたるものゆゑ、其結果は健全なる常



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識としてあらはれるのである、各自ら其經驗に徴して省みるがよい、私は最も嬉しいのは、自分の缺點あることを自覺する意識を生ずる樣になったことである、面して中に得意になることあるも、忽ち自己の缺點が頭を擡げ來るがために、高慢の心を碎かるゝ、此に於て自ら慚愧の心が起り、他人の缺點は左程に目につかぬ、殊に自己の怠慢なる、自己の冷刻なることを感すれば、佛陀の寛大なる慈悲深き心か一入感ぜらるゝ即ち感謝の念か起きる、感謝の念か起りてみれは安閑として居られぬ出來る丈同胞の爲には盡さねばならぬ、宗教の爲め盡さねはならぬと云ふ心になりて眞劍になる。所が中々心に思ふばかりて實際は盡されぬ、少々位は善をなしても育際は爲したと穪する程のことはないのである。此の如き心か私の現今宗教



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意識の有樣である。頗る微弱なるものであるが、自己の惡を惡と自覺することが出來、自己の善を善と思ふ心の少くなつたは只事でないと考へてゐる、細々ながらも慚愧と感謝で日送りが出來る、而して此等の心か毫も常識を逸したとは感せぬ、私は凡半ケ年以上も病の爲めに精神上に苦悶を威じたことがあったが、現時の宗教心には當時の如き狂熱的分子は毫もない、とにかく健全なる常識であると考へる。随分宗教上に於て世間道徳、出世間道徳とか、或は眞諦とか俗諦とか稱することありて、世人か道徳心と宗教心とは異りたる意識である如く考ふる人がある、是は大なる誤謬である、私か考へるには唯一の健全なる常識であって、人と人との間柄なれは道徳心と名け、



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人と佛との間柄なれは宗教心と名くる迄の事である、佛に對して懴悔する人か他人に對して高慢になり、佛に對して感謝する人か、他人に對して威謝の念のない筈はない、之を別物の如く考へ、則ち宗教心を以て常識以外のことの樣に思うて居るは大なる過失である。


一一 因果應報は宗教的自覺なり

因果應報と云へば誰も十分承知して居ると思へども、眞實之を自覺することは六つかしい、全體世人は之を以て恰も一個の學説の如く取扱へるは大なる誤りである、既に之を以て學説の如く考ふる故に、理窟かあるとか、ないとか云ふことを穿鑿する樣になる。私は因果應報と云ふこことは、人間天賦の宗教心に存するものにして、宗教の



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經驗より來りたる自覺であると考へる、私も以前は宗教としては左程重き點でないと考へて居つた、又随分世の信者と稱する人が、因果塵應報といへることを尊重して、殆んと其人の信界には此外に佛もなく神もなく之を以て信仰の骨髄として居るのをみて、能くもかく單純なことで安心が出來たものじやと、多少恠しく思ふたととがあつた、併今より考へてみれば、慥かに私も之を一個の學説の如くがに眺めて居たからである。人々皆胸に手を當てゝ自分の心に問うてみるがよい、人が惡いことをして、たとひ他人は知らずとも惡いことの仕得と云ふことはとても考へられぬ。因果應報といへは佛法臭いと考へるものが多い、併之を以て佛教の教理であると云ふことを考へずに、單純に内心の實



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驗に訴へてみるがよい、種々の困難に遭遇したるとき、深く前後を顧みるに、必ず思ひ當ることがある。プラトン輪廻の説を説くに、馬鹿なものは驢馬になるとか、牛の如き處作をなすものは牛になるとか云へる如き考へがあるが、随分我國の諺にも同樣の事がま多い、随分淺薄なる俗な考の樣であるが、自然に何處にも同樣の考をを生ずると云ふことは頗る意味のあることゝ思ふ。輪廻説であるとか、業相續であるとか、諸種の教理は姑く問はず、全體の處作が勝手に行へば、夫ぎりで消滅するとは思へない、このことは如何にしても拒むことは出來ぬ、是は人心自覺の有樣である、古來歷史上にあらはれて居る如く、人の命終らむとするとき、一生の行動を想起して、或は悔ゐ、或は懼れることの多きは、熟々之を想像するに、實に争



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ふへかららさる眞情であるかと考へる。されど今私は世人の常套語の如く思へる因果應報の文字を引出したるは、之を客観の地位に置きて眺める爲めではない、深く自分々々か自己の身に引受けて之を昧ひたいのである。言を換へて言はゞ、之を数理として眺めずに、人々之を自覺として貰ひたいのである。勿論之を理屈として眺めた所が頗る微妙なる考であると云ふことは、誰も感ずることであるか、唯微妙であると云ふて居る間は、批評眼の地位から眺めて居るのである、宗教の事は批評ではゆかぬ、自覺でなくてはならぬ、たとへは家庭の事につきて考へて見るがよい、若し主人たる人か心得よくして、我妻子下女下男に對しても、やさしく親切に取扱ひ、一家の間か和氣靄々として、自然子供等に至る



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まて何の恐るゝ處もなく、健全に發達するとき、若し之を外部よりみて、主人の心得がよいから、子弟までがよいと、單純に批評し去れは夫まての事であるか、若し主人たる人が、其美しき家庭中にありて、我は如何にも幸福なものである、如何なる果報にやと、身にしみて之を感するとき、油然として感謝の念を伴び來るのてある、かくありて初めて因果應報の味か分かるのてある。又此の如き家庭に反して、家内の空氣か頗る殺風景にして、邪見なる暮をなすときは、自ら物凄じき氣風が行はれ、兎角不和の絶えぬ樣になる、其時主人たるものが自己り缺鮎に氣が付かぬときは、唯他人の心得が惡しきとのみ心得て、益々怒を增し、反省する氣を起さぬ、若し此時一點己を顧みる心起りて、かく妻子眷属下女下男の



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輩に至るまで、各勝手を主張する所以のものは、抑々我があまり氣儘なる結果である、我既に気儘をなして之が手範を示したる以上は、他人か其通りにするのも尤もである。我子の我欲する如く行はぬは我か嘗て親に對して従順ならざりし結果である、我下女下男の勝手なるは、我か他人に對して勝手なる反響であると深く、自己現在の境遇を以て、自己か過去の行蹟に照してみるに、歷々思ひ當る事ありて、空恐ろしき心持がずる、此の如き場合にありて、決して他を咎むべからず、全く自己の身より出したる傷であることが分りてみれば、唯満身汗を流して懺悔するより外はない、かくの如き場合に於て、因果應報といへる語は耳に響きて、胸に釘をさゝるゝ心地がする、是が因果應報を自覺したと稱するのである、之を要するに感謝も懺悔



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も因果應報の自覺より流れ出でたる結果である。人間の意志は自由であると云ふ考は、吾々の心に訴へて拒むべからざるとであるが、其自由に善にあれ惡にあれ行動したる結果は、消滅しないと云ふとも吾々の心に訴へて拒むべからざることである、若し十分信仰心が圓熟し來るときは、此自由に行動したこと迄が我がはからひではなかった、佛の惠に氣附るけやうに佛陀が仕回して下されたと分かる、若し此地位に達するときは、單に自己の意志がなくなりて佛陀の意志ばかりとなり、自己の周圍に集り來るもの、一として佛陀の源泉より來らざるものはない、啻に人意的の行動に於てのみ、佛陀の意思が伴ふばかりでなく、天地の現象の如き事迄が一々意昧を有してくる、困難なる事あれば佛陀が吾を促し給ふと感じて大



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に勵み、幸運あるときは佛陀冥祐の結果であると覺りて、深く感謝の念を起し、變事あるときは、佛陀か戒を下して其惡を匡し給ふと知りて懺悔する。されど其佛陀の意思が全體本を探くれば、吾々の處作に對する御思召である、此に至りて考へてみれば、因果應報の外に全體宗教があるべき筈はない。


一二 相對世界の眞相

我々は常に相對世界とか、有限世界と云ふ語を用うるときは、單に前にある現實的の事物を想起すのみて、相對と云へる語には、特に淺間しきとか、嫌ふべきものであるとか云ふ考は起らぬ、既に相對と云へる語に淺間しきものであると云ふ考がなきゆゑ、隨て絶對と



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か、無限と云へる語を聞きても、高尚な理想界であるとは思ふものの、左程懐かしき考が起らぬ、畢竟是れ相對絶對と云へる語を、哲學的に冷かなる頭脳で考へて居るからである。苟も宗教上に於て此等の語を用ゐる已上は、相對と云へば如何にも穢はしきものである、嫌ふべきものと云ふ概念が起り、絶對と云へば飛び付くばかり懐かしきものである、淨らかなるものであると云ふ概念が起らなくてはならぬ、若し此概念なくして、冷淡なる哲學的の概念を以て相對とか、絶對とか云へる語を宗教上に用ゐるときは、何となく宗教を乾燥無味にする恐あり。若し宗教上の概念を持つことの出來ぬ人は寧ろ之を宗教上に用ゐぬ樣にする方がよいと考へる。

 私の經驗を白状するに、私自身が久しく相對と云へる語に、穢はしき



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ものであると云ふ考は起らなかつたのである、相對と云へば、單に、山と云へば水、柳は緑と云へば、花は紅と云へる概念が起った、有限と一云へば、長短方圓の形を有する物柄を思ひ出して、たとへば硯とか筆とか云へるものであると考へて居った。夫故左程淺間しきものと思へなんだ、併一旦氣がつきてみれば、こは冷かなる哲學的の考であった。熟々考てみるに、相對界とはよくも人間世界の眞相を穿つた語であると考へる、先づ人間と云ふものは如何程の價値のものであるか、又相互の間柄は如何なる有樣であるかと考へてみるがよい、或は厭世観であると評する人もあるべけれど、抑々此世界は敵と敵との寄合である。自己の生命を保存する爲には、他を犧牲にして進まんとするのである。禽獸蟲魚を初めとして、草木の類に至るまで、各



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自己を發達せんと企て、死l避けむとするは、人間も同樣である、然るに人間は當然自己の食物として出來て居るものゝ樣に考へるは、自己を中心としたる我儘勝手の考にして根本的の誤謬である、彼等とても生ある已上は其生を保存せんと勉めて居るのである、而して人間も同樣に自己の生命を保存せんと勉めて居るのである、然るに人間が自己の生命を保存せんとするには、彼等の生を奪て之を食物とせねばならぬのである、又獸類中でも虎狼の如きものは、亦其人間を食物として自己の生命を保たうとするのである、つくづく考へ來云ふ有樣である。科學上に於ける優勝劣敗とか强食弱肉とか云へる語は、如何にもよく眞理を顯はしてある、如何にもこれ相對世界の眞相



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である、佛陀は之を描きて「强き者は弱きを伏して轉々相尅賊し、殘害殺戮して迭ひに相呑噬す」と説破されたのは、實に恐れ入る次第である、如何にも相對世界は淺間しきものである。かく宇宙間に於て各々自己を中心として我儘勝手をして居るのみでなく、同し人間でも各々自分々々を中心として、我儘をして居るのである。自分を中心として居る故、各相對して顔を向け樣た所で衝突が起る、極緻密に考へて荒々しき腕づくの衝突は姑く措き言にも出さず顔色にも出さずとも、人間相互の精神界の衝突は恐ろしきものである、我は彼に對して、かく好意を表するに、彼は我に對して感謝の心なきは濟まぬとか、彼は他人にはよくするも我に對しては不公早であるとか、豆粒の如き小さき事を思うて怨み合ひをし居るの



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である、世間に於ける罪惡の根源も、畢竟相對界の感情の衝突から起る、所謂嫁と姑との間柄より、女子の嫉妬心の如きは明瞭に之を證明して居る、かく云へば、そは小人女子の事にして、大人君子大丈夫の事でないと云ふ人もあらむ、されど私の眼には苟も人間たる已上は皆同樣であると考へる。抑々小にして地方的感情を挟みて相睨み合ふて居るのも、政黨か相對して敵親して居るのも、何れも我地方、我黨派と云へる考を中心として戦ふで居るのである。大にしては列國對峙して外交上の掛引きをなして居るのも、彼は我に對し好意を表せぬとか、甲とことは秘密同盟として居るとか、一々、穿ち來らは婦人女子の豆粒の如き考と、如何程の徑庭があるのであるか。そして其感情の衝突が形にあらはれたのが戰爭である、故に人



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間と名のつく人ならば各々胸に手を當て、人間の価値が如何程のものかを考へてみるがよい、如何にも敵と敵と寄合ふたる相對世界であると云ふことを自覺せずには居られぬ。相對世界の眞相がかく淺間しきものであると観ずれば、我々は如何にして此世界に處すべきか、我進みて他を食まむか、他も亦我を食まむとするを奈何せむ、出來るものなら、止むを得ず消極的に自己を滅して此世界を退くよか仕方はない、かく云へば非常なる決心の如くなれど、矢張自己を中心として静寂を求めむとする利己心を脱せぬのである、結局自殺的に自分獨り退隠する迄のことで、世界は依然として衝突の風波は荒れて居る、かく考へ來らば此相對界已外に進むの道なく、退くの餘地なく、淘に絶對絶命である、かく窮ま



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りて、初めで自己中心を脱したる絶對世界の光明が輝てくる、自己中心を脱したとは、消極的に、自己を滅したことでない、眼中自他の區別がなくなったことである。寧ろ積極的に自己を擴充して、世界を以で自己となし、今迄他人の爲めに動くと考へたことと、自己の爲めに働くと考へたことゝか一樣になったのが絶對界である、而して此絶對界に達する手段は即ち同情である、即ち他を犠牲にして自己を保存せむと云ふ考が一轉して、自己を犠牲にしても他を救はむと欲するのである、今迄自己を中心として相對的城廓を築きて居ったものか、同情の門戸を開きを絶對的に四海平等意気相通ずるのである、かく絶對を考ふれば誰しも出來るものなら結構なれど、そは理想であると考へる、たとひ我慢をして同情を以て他に向ふても、他



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が同情を以て應ぜざれば却て反動を以て一層敵視する樣になる、幸に同情を以て應ずる人あらば夫こそ千歳の一遇である、然るに豈圓らむや既に業に此相對世界の有樣を達觀して、満腹同情の涙を以て眺めて居る人があった、こは決して理想ではない、現實に其人があるのである、即ち生きた絶對である、故に吾々も亦感謝の涙を以てすがらずには居られぬ、實に佛陀平等大悲の同情は、吾人相對世界の感情の衝突を鎔鑄する光明である。かく一たび光りをみたる已上は、相對界に於ける各々が相食む代りに相照すことが出來る、相互に敵親する代りに相互に感謝するのである、衆生恩とは此味である、若し先方が其光りをみざるときは、我は絶對無限の光が寓する故、飽迄先方を感化するとが出來る、之に



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よりて一家内も和睦すべく、政黨の軋轢も調和し得べく、萬國の平和も來すべきである、閻浮八萬四千城、不働干戈致太平とは如何にも尤である、全體政治には宗教はいらぬとか、國家に宗教がいらぬ抔云ふ人は、抑々相對界の眞相が如何に淺間しきこと、卑しむべきこと、自ら憐むへきことを自覺せぬからである。


一三 生きんが爲に働くべからず

      働かんが爲に生くべし

此世界は生存競争の世界であると云ふことは、誰も承知して居ることにして、實に拒むべからざることである、生存競爭とは如何にもよく相對世界の真相をあらはして居る、如何にも淺間しき有樣があ



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らはれてある、然るに世人は此を當然の事とのみ心得、之を以て淺間しきことと思はず、之を處世法に應用して、人間最終の目的は自己の生存にして、日夜の勞慟は之を得るの手段に過ぎないと覺悟し、自己の生存の爲めには、他人を突飛ばしてもよい、全體人間は生きんが爲めに働くのであるときめ込むで居るは、如何にも淺間しき極點である。若し果して此決心を强めて來れば、自己の利益の爲めには何事をしてもよいと云ふことになる、此に至りで道徳も義理もあつたものではない、かくなつた上は世界は如何にも淺間しきことゝなる、たとへば軍人にして、厳めしき軍服を着し、日夜訓練を怠らざるも結局自己の虚名と利益めで爲あると覺悟したらば、其結果は如何にな



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るであろうか、虚名の爲めに随分冒驗することもあるべけれど、若し自己の生存が唯一の目的であれば愈々絶對絶命となったとき、命ありての物種であると思ふて、敵に後を見せて逃げる樣になる、かくの如き軍人は億千あつても何の役にも立たぬ、故に軍人にしてみれば、自己か生きるために働くのではない、自己は働くために生きて居るのであると云ふ覺悟でなくてはならぬ、即ち生存が目的でない、活慟が目的である、故に勞働の目的の爲めには、生命を擲つ決心がなくてはならぬ、是が獨り軍人ばかりでない、政治家でも實業家も同樣である、政治家は勿論實業家でも此決心が出來ざれば其事業の爲めに殉ずることは出來ぬ、全體我國の實業家には、商買は一己の利慾を満足することゝのみ考へて居るものが多い、夫故腐敗し安



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いのである。實業家も軍人が國家の干城を以て任ずる如く、我は國家の富源を開くため働くのである、之が爲めには一命批を投じても、決して遺憾ないと云ふ覺悟が出來なくてはならぬ、要するに、人間は生きんが爲めに働くと云ふ決心では可かぬ、働く爲めに生くると云ふ所に腹が坐はらねばならぬ。翻て佛陀の行爲を顧みるがよい、佛陀の佛陀となられたる根本を考へてみるがよい、我は一切衆生に尊敬せらるべき正覺の位置に達せんと云ふ目的で修行せられたるのではない、寧ろ衆生を濟度し盡さずむは正覺を取らぬと云ふ決心である、即ち正覺の生命を得るために修行の働をせられたのではない、一意、衆生濟度と云ふ働夫自身が佛陀の目的である、故に其衆生濟度が出來ぬときは、正覺の生命を



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擲つ決心である、抑々佛陀修行の動機なるものは、其眼中に映する吾人の淺間しき行動のみである、つくづく之をみて座に堪へず、如何にしても救はねばならぬと云ふ決心で、一たび手を下してより以來、今日に至るまで働きづめである、かくもしたらば助くるを得べきか、かくもせば度するを得べきかと日夜思ひづめである、かく慈悲心が凝り塊まりて其結果が即ち佛である。而して何時自己が正覺をとつたか自覺せられぬのである、寧ろ佛陀とは衆生濟度の活動夫自身であると云ふてよい、吾人は此の如き活動の存在に氣が付かずに、日夜生存競争の爲めに活動して居ると云ふは、如何にも勿體ない、慙愧の至極である、我々は生くることを唯一の目的として慟くことの淺間しきことを自覺するだけ、佛陀が活動夫自身の爲めに存在せらるゝ



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ことの有難きことを感受することが出來る、此佛陀の活動の勢力が吾人の如き生存競争塲裡の淺間しき世界に透映してみれば、消えたき心地がすると共に、如何にも佛の高尚なる慈悲光中に融化せられる、かく佛の慈悲を威じてみれば、此佛陀り大活動に對してとても座しては居られぬ、吾人も心を翻して、一日も一刻も廣大なる恩徳に向て、感謝の情を表せずには居られぬ、否如何樣にしても生命の存在する限りは報謝したい、如何なる塲所にあるも、如何なる仕事をするも、一に威謝の發表となる、此に至りて、今迄生存競争で生くる爲めに働きたものが、何時の聞にか一轉して、佛恩報謝の働を爲すために生存して居ることなる。かく佛陀の感化によりて知らず識らず軍人でも實業家でも、生くる爲めに働くのでない、働くために



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生くるのであると云ふ決心が出來る。かくの如き心持で處世をすれば、高尚は高尚なれど、自己の生存と云ふ活動の原動力が破壊せられ、又活動はするものゝ生存が怪しいと考ふる人があるかもしれぬ、全體自己の生存が眼中になければ活動せぬと云ふは、共有財産にすれば人が慟かぬと云ふと同じ事で、其根本は働き損であると云ふ考がある柄である、然るに今は佛の活動に對して自己の活動の不足を感じ、一途に感謝の觀念と云ふ大原動力がある故、吾人の活動は益々敏活である、且又既に活動夫自身が目的である故、生存が怪きと否とを顧みる筈はない、されど活動すれば其結果として自然に生存する、抑々佛陀は衆生濟度の爲めには正覺の生命を擲つ決心であつた、然るに何時の間にか知らぬ間に



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正覺を取つて佛陀となつて居らるゝではないか、恰も木の火箸で火を燃す如し、薪を燃すが目的なれど、火箸夫自身迄が燃えて仕舞ふ、吾人も感謝の情より活動を唯一の目的として自己の生存を顧みざれども、何時の間にか自己の上に繁滎の餘徳が酬ふてくる、試みに其覺悟を以て實行せらるゝ人は、必ず實際思ひ當るであらう。


一四 佛陀を近きに求めよ

宗教は何よりも高尚なるものなることは、誰も承知して居ることなるが、唯高尚であると云ふことのみを思ふて、全く吾人の思想の湊達せぬものゝ樣に思ふ弊がある、是は大なる誤解である、固より宗教は人間已上の境界を説けども、其人間已上の境界が吾人人世と連絡が



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なければ宗教とは云はれぬ、固より絶對の境界は吾人人間の思想を超越したものではあるが、其絶對が絶對としで存在して、吾人々世との間に渡るべからざる海湾が横はりては、決して宗教とは云はれぬ、抑々宗教は絶對夫自身を名けた者ではない、其絶對世界と人世界との間に架せられたる橋梁である、故に宗教の一端は慥かに絶對無限の彼岸に績くものなれど、他の一端は明らかに相對人世の世界にあらはれて、吾人の手に達して居らねばならね、宗教としては寧ろ吾人の手に觸るゝ所が嬉しいのである、しかるに世人は宗教は高尚であると云ふ一方面のみを眺めて、其高尚なるものが卑しき人間界に適切に受け取れる點を顧みるものは少ない、夫故、兎角宗教の事と云へば世外のことの樣に思ふ人が多い。



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世人が佛陀と云へば、多少の信念を有するものなれば、之を崇めることは知りて、崇高きものであると思ふて居るはよいが、之を遠きに置きて眺めて居りて、之を近きに求むる事を知らぬ、其の佛陀の手が我々の手に達して居る事を知らぬ者が多い、全體佛陀の手が吾々の手に達して居らねば、とても我々が融合することが出來ぬ、絶對か絶對として控へて居りては、とても我々相對が如何に悶へても手は達せぬのである、然るに佛陀は其絶對が先方より吾々に向て引接せんと企てたる御手である、故に吾々は之にすがればよいのである、佛陀は固より純絶對の境界なれど、其絶對が一面は相對の形をとりて、相對の世界に臨んであるのである、我々は日夜淺間しき日暮をして居れば、其の淺間しきものに對して慈悲の手が觸るゝのである、愚



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昧なる心を起して居れば、其の心中に智恵の光明がさしこむのである、飛びつくばかりに佛の手に達してみれば、いかにも何時始めともなき絶對の世界につり込まれるのである、佛は佛の世界より吾々を召喚し給ふのである、吾々は其呼聲が聞こえてみれば、其世界へ生れるのである、さて生れてみれば、無生の世界に融合さるゝのであるたとへて言へば、吾々が眠りて居るとき、他の醒めた人が手を以て、揺り起し、聲を以て呼び起してくれるとき、之を夢の中に感じて居る、即ち夢の中の現象に雑りて居ることがある、時としては夢の中にあり乍ら、我は今夢をみて居るのじやと思ふて居ることさへある、されど其の思ふて居ること迄が夢である、偖愈醒めてみれば、本來醒めたる世界に出て來たのである、されど醒めた人がありて、眠り



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て居る我々を搖り起こし、呼び起こし給はずば、長夜の夢の醒むべき筈がない、故に醒めた人を醒めた人として高きに置きを眺めても何の益もない、救ひの此手が嬉しいのである、此助けの聾が有難いのである。佛陀を近きに求めよとは此昧である。かく云へば、その佛陀なるものは全體理想ではないか、畢竟内心の投影であって、客觀化したものではないかと疑ふ人があるかをしれぬ、されど私か拝む佛は決して自己の理想ではない、客觀的の實在である、夢の中に聾を聞きたるとき、夢中に聞て居ても、聞こえた聾は慥かに醒めて居る實在の聾に違ひない、其實在の聾が夢に入りて來るのが有難い、されど此聲の實在は實在に違ひなけれども、夢の世界より眺めて居れば五官の經驗を越えて居る、五官の經驗を越え



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て居ればとて決して之を理想とは云はれぬ、其實在の佛陀とは即ち因願酬報の果體である、我々を助んとし我々を救はむとして、其慈悲の塊が即ち佛となられたのである、全體佛陀も始めは吾々如き人間である、人の爲めにすると云ふ慈悲心が源となり、因果律によりて知らず識らず佛陀になつたのである。故に佛陀にはたしかに始かあるのである、されど佛陀の位置に遠した巳上には、時間的に其生命は無限である、空間的に其光明は無限である、故に全體此の如き佛陀の歴史が、人間が絶對達し得べにき證明である、併私は此佛陀の足跡を追ふて同一の軌道を反覆しやうとは試みぬ、只佛陀の實在を信ずれば直ちに佛陀に接する事が出來る、其實在を信ずることの出來るは、始め吾々が威じ得べき人間の姿を以て、吾々を助けむと云ふ大



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願を起し、其結果遂に佛陀となられたからである、故に此大願が吾々人間の耳に達し得べき招喚の聾である。私はかく實在の佛陀の導きにより、絶對の境に導かれる、されど埋想の佛陀を拝む人を否定せぬ、併理想なるものは手の達せぬものである、若し手の達するものならば理想ではない、故に理想を追ふて我身が一歩進むときは、理想も亦一歩先方へ進む、かくして無限に理想を追ふて進む有樣が、即ち理想の佛陀が絶對に導く有樣である、此時は之に達せんと欲して追ふて往くのが愉快なのである、故に理想の佛陀は寧ろ手の届かぬ所が絶對に導く所以である、乃も此が自力の修行である、之に反して實在の佛陀は手の屈く所が絶對に導く所以である、是即ち他力の極點である、されど實在の佛陀を拝む人と



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雖、決して理想の佛陀を否定すべき筈もなく、理想の佛陀を拝む人と雖、實在の佛陀を否定すべき譯はない、理想を主張したるプラトンが靈魂不滅論に死後の世界を實在的に記載して居るは頗る面白い。


一五 信念の修養は實際問題に如くは無し

信仰は活物なれは、時々刻々進歩すべきものであり乍ら、兎角沈滞に陥り安き弊がある、全體信仰と云へは、内心の中に慥かに攫んだ心持がなけねばならぬ、所で其攫んだ心持がすると、忽ち是で十分であると腰を据えるのである、夫故直ぐに沈滞に陥り安い、攫んだ樣な心持がしたのは、畢竟漸く信仰の閾をまたぎて、門内の微光を認めたばかりで、夫から大に信念の修養を勉むべきである。私の經驗



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によるに、一つ不審な點ありて疑團氷解せざるとき、時機來りて煥然として明らかになることがある、すると直ちに我は眞髄を得た、極致に達したと心得る、是が抑ゝ懈怠のもとである、是は信念の修養に最も戒むべき點である、全體信仰は恰も池l堀る如く幾重とも知れぬ底がある。一つ底に達したからとて夫で十分と思ふてはならぬ、其底を破りて行くときは又大に進むべき餘地がある、暫くすると又第二の底がある、すると再び又十分であると考へて歩を止める、又歩を止めるも無理ではない、底に逐する毎に、相應に水が出てくるのである、所謂徹底した心持がするのである。門より進みて戸口まで行くときは、確かに一層明るくなるのである、即ち益ゝ佛陀の光明が明らかに拝まれる樣になつてくるのである。其時躍り上がる喜があ



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る、そこで兎角尻を落ち付ける、されど本人は決して尻を落ち付けて居ることは自覚出來ぬ、本人は進歩して居る氣持で、寧ろ得意である、偖此得意な所が大に戒むべきである、愈ゝ機來りて戸口より玄関まで上りてから顧みれば.決して進歩して居つたのではない、唯門と戸口の間の明りに満足して、同し道を往つたり來たりして、楽んで居つたのである、唯反覆して居つたのを進んで居ると思打て居つたのである。第二の底に達しカたときは、已前の第一の底に較ぶれば頗る深いと思うて、其の水に満足して居つたのである、かく信仰には破りて進まねばならぬ無限の底がある、信仰の奥に達して直接に佛陀の大光明に接觸するまでには、堂もあれば、室もあり、無限の居間を過ぎ越さねばならぬ、現に禪の經驗にも大悟十八遍、小悟其



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數を知らずとあるでないか、又眞宗の安心にも三願轉入と云ふことがあるではないか、三願轉入であるから三遍であると思ふたら大間違である、實は無限の轉入である。信念の修養と云ふは、漸々此底を破りて進んで往くことである、所が如何にして此底を破るかを考へねばならぬ、若し大に進むべき餘地があることを自覺すれば、尻を落ち付ける筈はなけれども、自分が其境界に居れば自覺出來ぬのである、白狀すれば私の如きは決して尻を落ち付けてならぬとは知り乍ら、常に尻を落付けがちである、初めて氣が付きて進んでからでなくては、尻を落付けて居ったことが分からない、然らは如何にして大に進むべき餘地あるとを知るべきか、即ち信念の修養は如何にしてなすべきであるかと云ふ問題である、實地私の經驗を云へは、静



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坐念を凝らして佛陀の膝下に跪き、大光明に接觸する心持をなし、又終日行動云爲せし跡を顧み、又心中に描き出だした妄念を思ひ浮べて、心の底から慚愧の感に打たるゝも慥かに修養の方法である。是は成るべく常行として行ひたいと思ふて居る。去れど其心中に於て接する佛陀の光明が兎角其時の信仰の程度に應ずるだけしか拝まれない、慚愧の心を振ひ起した瞬間は、如何にも心が洗はれた心持はすれども、夫が止めば元の俗界に立歸つた氣持になる、此は慥かに底から底まで進む方法ではあるが、底を破るには力が弱い、常に信仰の内的經驗も談も慥かに修養の方法である、是は最も愉快な方法である、恰も諸國の人々か同じく都へ上りて、一夕燈下に相會し各道中話をする樣なもので、一人々々經驗が異るゆゑ、最も興味が多い、特



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に各眞摯の情を以て敬虔の念を運んでくれば一座融合する心持がする、又自己よりも一歩進んだ人の經驗を聞くときは、たしかに大に進むべき餘地あることを發明することもある、されど實地を云へば自己よりも進んで居ると云ふことを察することは頗る難い、故に多くは今迄過ぎて來た道を反覆する事が主になりて底を破りて進むには弱い、前途に輝ける希望の光明を目掛て勇進すると云ふよりも、寧ろ後を顧みで過ぎ來りし山川を眺めて居る樣な心持がする、然らば如何にして信念を練り上ぐべきか、如何なる方法にて底を破りて進むべきかを講ぜねばならぬ。全體往くべき所まで往かずに満足して居のであるゆゑ、一歩でも進んで居る人より眺めてみれば、先方では歴々我不十分なことが分か



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るに違ひない。故に此の如き進んだ人より打撃を蒙るがよい、全體我が満足して居るが病根である、故に非常に鞭撻を要するのである、此の如き塲合に遭遇するときは如何にも我が高慢の頂に上りて居ったことが自覺出來て、満身懺悔の念に堪へがたく、心中深くあやまり果てゝ、佛陀が我信仰を增進せんが爲めに、特にかく我を戒め給ふのであると覺り、感謝の念と共に熾しくし猛進する樣になる、生きた人に接しても又書物をみても此の如きことはある、されど人はしぶといものである、一旦は起っても居ても身の置き所なき程に思ふても、忽ち平氣になり安い、私の經驗によるに、最も信念の修養に適切なるは實際問題に接觸した塲合である、抑々自分が未熟の信仰の程度に應ずるだけの光明で満足して居るのは、畢竟自分の心中



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に隈なく光明か透徹して居らぬことを自覺せぬからである、所が實際問題に臨み手を下すときに當りては、其光明が透徹して居らぬことが事實上顯はれむとする、即信仰が未熟なる巳上は未だ光明の到らぬ暗き點がある。人にも云ひ難き汚き心がある、彼の靜坐念を凝らして慚愧するときは、唯汚き心を心中で否定するのであるから、心安く否定することが出來る代りには、忽ち又頭を擡げてくる、所が實際問題に接して實行上にあらはるゝときは右にするか左にするかで黒白清濁の分れ目となる、此時は汚き心が種々の口實を作り、種々の誘惑を具へて、我を逢迎する、此時一歩も許してはならぬ、かくするが通常世間の當然である抔と考へ、汚き方に傾きてはならぬ、満身佛陀の靈光を仰ぎて斷乎として汚き心を打破りて正しき道に直行



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猛進する、此に於て慥かに底を破りて深く入り込み薄暗き室より明るき室に入ることが出來る、かく實祭問題につき當りて進んだ道は、決して跡もどりせぬ一旦實行にあらはした已上は釘を以て打ち付けた樣なものである、再び此の如き塲合に遇ふも、何の苦痛もなく平氣で處理することが出來る、かく實際問題に接觸して、一點でも佛陀光明の到らぬ點がないかを調べるが、最も適切なる信念の修養である、若し一點にても暗き點あらば自力が殘りて居るのである、眞實佛陀の大光明に直接に交はらないのである、徹頭徹尾満身佛陀の命令の下に意志が働かないのである。



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一六 信ぜんと欲して信ずるに非す

      信ぜざる可らざるゆゑに信ずる也

信仰は夫自身が窮極であゐ、夫自身が生命である、理由ありて信仰するのでもなく、目的に達する爲めに信仰するのでもない、矧んや自分で故意に力んだとて信仰が得らるゝものでなく、何故に信ずるかと問はれたとて、返答出來るものでない、强て云へば信ぜねばならねゆゑ信ずるのである、信ぜずに居らうと思ふても、一日も信せずには居られぬからである。熟々過去を顧みて、既に通りて來た行程を考へ、將來踏み出さんとする希望を辿るにつきても、佛陀の偉大なる力が吾々の頭上に加へ



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らることは、とても疑ふことは出來ぬ、若し従來佛陀を信ずることがなかつたならば、如何に道を踏み迷ふたか分からぬ、人生の行路は所謂蟻の戸渡である、一心正念、左右を顧みることなく、往くべき所へ往けたのは、佛陀を靈勅の力强き呼び聾があつたからである、佛陀の心は我々の心に入り満ちて、右すべきか、左すべきか、念々刻々親しき導きを蒙りたのである、然るに人間は勝手なもので兎角何事も自己の力で出冷來た樣に思ふて居る、是は大なる誤である、をさなき小供が頗る得意で活動して居るときは、すべて自分の力でやりてのけたつもりである、よちよち足に力を入れて一人前歩きた樣に思ふて居れど、實は親の手につかまつて稍牽き釣られて行きた趣である、其次ぎは大手を振りて獨行獨行のつもりであつたが、何ぞ知ら



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む親は後に回はりで兩手を擴けて、私かに擁護しつゝあつたのである、頑是なき小供こそ知らね、其歩きつゝある所は一歩踏み脱せは逆樣に堕落して身體を粉微塵にすべき高き縁側もあり、何處彼處を關はず手を出す中には炭火が眞赤になりて忽ち大怪我を招くべき火鉢もある。つくづく自分自身の運命を考へて見るに、如何なる程度まで危殆に瀕しつゝあるのか底氣味悪くなる次第なるが、丁度夫れに比例して佛陀の廣大なる力は、如何なる點まで周偏して居るのであるか、佛陀の周密なる慈愛は、如何なる奥深き處まで徹到しで居るのであるか、今更の如く仰嘆して威謝の涙に咽ぶことが屢ある。過去をふり顧みて然るのみならず、將來を望むに亦同樣である、現時の社會の實際を考ふるに、人心の向背、世路の險惡なることは怒濤



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狂瀾の如きものであって、我々此中に處することは、殆と片舟を漕ぎ出したる樣なものである。我々が此の如き風波荒き間に立ちて、毅然として進むべき大勇氣の起るのは、前途確かに希望の燈明臺が輝きつゝあるからである。信仰の上より來る希望の生命なるものは、實に言ふべからざる力强きものである。譬ふべからざる味の深きものである。若し此希望なかりせば人世は暗黑である、無意味である、釋尊か成道し給ひし時、東の空に閃きつゝあった星の如く、吾人は暗黑の世界の中に佛陀の光明を望みつゝ進むものである、一たび此光明を目標としたる已上は、足元を顧みて遅疑する必要がない、人生の如何なるものも、此光明を遮ることは出來ぬ、罪惡も之に障ふべからず、死も之を障ふべからず。雲來りて却て平素気附かざる光明



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の如何に逼ねかりしかを顕はし、死來りて永久の生命の如何に不朽なるかを示さるゝ譯である。死は室内と室外とを隔つる一片の戸の如きものである、戸を排して親しく日光に沐するも可し、室内にありて倦むことなき大悲の光りに育せらるゝも嬉しい、つくづく考へて見れば、將來如何なる道に導かるゝかは勿論分からぬが、唯偉大なる導きは、たとひ天地が碎くるとも、社會が顚覆しても煥して變ることなきは確かな事實である。生かそうと殺そうと、佛意の如何は知るべからず、されど、唯譯なしに一歩々々親しく佛陀の膝元に引きよせられて、攝取の心光によりて遁れむと欲して遁るべからざる救濟を蒙りたる實感は、眼前の事物を見るより確實なる經驗である。 かくの如く過去に於ける佛陀の擁護を想い返へし、將來に於ける



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佛陀の指導を感ずるに、佛陀が我々に對して加へ給ふ力の偉大なることはとでも考の及ぶ所ではない、我々が佛陀に對する關係は、恰も蟻が大山の麓を回りて遂に其全體を如る能はざる如く、魚が大海に游泳して常に水を離る能はざるが如くである。我々は日常何氣なく日暮しをなしつゝあるときに、實に意外千萬の出來事に遇ふて、心中深く思ひ當たることが度々ある。而して其事件の爲めに内心深く打たるゝ事が多い、殊に信仰に直接關係を有する問題に於て、一舉手一投足のことが、實に偉大なる結果を持來たすことがある、たとひ直接信仰の事柄でなくとも、信仰の導きの下に行ひたることなれば、其結果は必ず信仰的に出來て居る。此時に於て佛陀の力の不思議なるとを事實上に見るとが出來る、此に至りて信仰は信仰せんと欲し



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て自己を凝り固めて信仰を作るのではない、此の如き内心に於て、事件に於て、昭々たる事實は信仰せずに居らうと思ふても信せずにはら居られぬのである。寧ろ如何に此信仰を碍けんとするものあるも碍ぐ可からず、此信仰の爲には如何なる困難に遭遇するとも辭すべきでない、吾人は此信仰の爲めに生き、又此信仰の爲めに死すべきである。畢竟信仰は其自身が生命であり、又目的である。吾々は信仰することによりて佛にならうと、なるまひと、毫も結果に關係すべきではない、作佛を計る勿れと云ひ、地獄に落ちたりとも更に後悔すべからず候と云ふ古聖賢の告白は、信仰の結局を打明けられた極所である。此如く佛陀の偉大なる力は、仰げば仰くだけ不可思議にして、時



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々嚴肅なる靈感に襲はれて、想はず襟を正しくすることであるが、最後に至りて私が最も不思議に感ずるは、何故にかくの如き確實なる信仰が、吾人の内心に宿り得たかとの事である、吾々の變り安かりし心の中に、頼み難かりし人間の力にて、如何で此の如き信仰の起り得べき譯がない、確かに是れ佛陀威力の所爲にあらずんは、何人も出來る事ではない、此に至りて信仰自身が佛陀の心である、信仰自身が佛陀の力である、信せざるべからざるゆゑに信ずると云ふ事柄までが、佛陀の賜物である、此極點に達すれば、寧ろ信仰自身が佛陀回向の靈界の一大事賓であると言ふ方が適切である。(以上三十六年四月已後)



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一七 靈化、物化

世界の事は、唯見ただけ、聞いただけで、其已上はないものとは、とても思はれない、我々が知覺する範圍だけで、其已上に奥底がないとは、迚も考へることが出來ない、昨日まで其聾を聞きつゝあった人が、死なれたとて全く滅したとは迚も思ふことが出來ぬ、死すると云ふは畢竟形骸の上に於てのみ言ふことであつて、其精神は千古生きつゝあることである。其心靈は遠く去りても、又眼の前の物を見るが如く、了々として照覧せらるゝことである、若し此事がなかつたならば、世界は無意味である、人生は暗黑である、勿論死は愛情の生木を折り碎くもので、實に是程の腸を傷ましむることはな



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い、然れども若し死が果して永久の死であつて、靈的の感應までもなくなつたならば、夫こそ實に絕體絕命の悲哀である。然るに幸なことは、假令ひ形骸の上では沓として相分れても、心靈の上に於て存在して、洋々乎として其上に任すが如く、其左右に在すが如くあるは、實に吾人の見聞巳上に超越せる靈界の力である、此の如く靈化されたるときは益々神聖にして、益々確實となる次第である、而して此靈化なるものは獨り死の塲合にのみあるものではない、常に此作用の存在することを注意せねばならぬ、たとへば親子、兄弟、朋友など親しき間柄にして、遠方の旅に出で、色々の事情の爲めに必ず同居することの出來ぬ時は、矢張此靈的感應によりて、相交はることが出來る、こは單にかく思ひなすのではない、事實として確實



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なることである、見聞する事物の確實なるほど、同樣に確實てある、吾人は勿論俗的に存在して居る已上は、形骸の上に於て親しみを見出して、容易に其執著を脱することの出來ぬものなれど、愈々になりたとき、結局此大なる靈界に於ける事實の確かなるが爲めに、大に餘裕の存することである、親鸞聖人が久遠劫より流轉せる、苦惱の舊里は捨て難く、未だ生れざる安養の淨土は戀ひしからず候こと、よくよく煩惱の强盛にこそ、娑婆の縁つきて力なくして終るときに彼土へは参るべき也とは、如何にもよく靈的の永久の存在を確實に言ひあらはされたものである。親鸞聖人が法然聖人の臨終の樣子を述べらるゝとき、最も明瞭に此靈化的言語が用ゐられてある、「浄土に還帰せしめたり」と云ふてあ



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る、而して此靈化的の言語は平生に其人を靈化してみる力が出來て居らねば、俄かに靈化しで見ることが出來ぬ、人が死ねばとて直ちに之を佛と見ることは出來ぬ、寧ろ生きつゝある時に其人を通じて佛の作用を見る力がなくてはならぬ、親鸞聖人は確かに決然他聖人に於て其力を認めて居られた、即ち決然聖人を以て大勢至菩薩の化身であると眺あて居られた、大勢至菩薩とは即ち佛陀の智惠である、即ち法然聖人の人格を通じて佛陀の智惠を鍾める力を有して居られたのである。若し言ひ換ゆれば、佛の智惠が塊りて法然聖人となられたと信ぜられたのである、故に法然聖人を靈化して大勢至菩薩と見るよりは、寧ろ大勢至菩薩が物化して、法然聖人と示現せられたと見るのである、故に物を靈化して見える人は、又靈を物化して見えるも


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のである、而して物の靈化することが確かなる事實である如く、靈の物化すこは確かなる事實である、智惠の塊が法然聖人であった如く、又慈悲の塊が聖徳太子であつたのである、即ち觀世音菩薩が聖徳太子と示現せられたのである、此佛陀の智惠と佛陀の慈悲との引導によりて佛陀の本願を弘むるのが自己の天職であると、確信して居られたのである、親鸞聖人の此思想は廣く其家庭の間柄まで及びて、各其人格を通じて佛の慈悲を鍾めて居られたのである。此の如く物が靈化し、靈が物化する思想は、信仰の實驗上免るべからざるものである、此に至りて私は初めて事理圓融の味が明らかになりて來た、従來は事理圓融と云へることを、單に哲學的の論議を以て左右することゝ思ふて居つた、私は初め宗教界に於ける幽明


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の事實を確信することの出來なんだとき、之を心中に運び着ける唯一の手段は、此事理圓融の敢理であつた、即ち眞如の理體は萬象の事物と圓融無碍のものであるゆへに、苟も眞如の存在がある已上は、是非とも幽明の事實の存在は疑ふべからずといふ理的說明であつた、かく理論には說明を得たれども、毫も實感が浮ばなんだ、其後佛陀慈愛の救濟が身に浸みたるの後、初めて佛樣が我物になつて下さつた、して、近時天然人事の出來事に於て、佛陀の力が吾一身の上に加へらるゝことの偉大なるを成じ、物が靈化し、靈が物化する事實を、心中深く感得し來ることである、此に至りて従來とは大に趣を異にして、吾人が知覺を超絕する、大なる靈界の力を認めてから、初めて事理圓融の味を實驗することが出來る樣になつた。


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抑々吾々人生なるものは、必ずしも物質的に滿足なるべきものでない、此時は此大なる佛陀慈悲の靈的の滿足を以て救濟せられることである、故に寧ろ人は不幸に遭遇して、物質的なる不完全なる部分、世俗的なる部分が無くなりて、純粹に靈化したるとき、殆むど完全圓滿なる靈を見ることが出來る、又佛陀慈愛の靈的救濟は人生を超絕して居ては吾々は中々味へぬ、夫故吾人の手に達する樣、吾々の胸に屈く樣に、色々に物化して其聲を聞き、其形を見、直接人格を通じて其智惠の光明を吾々の心の中に融かし込まれたとき、佛陀無限の大悲を感佩することが出來る。


一八 信ずるとは力を信する也

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『信ずるは力也』とは、先頃物故されたる清澤師が、自己が實驗上より産み出された徳音である、「はじめは、ちょつと考へた時には、頗る危険であると思ふたことも、人を信ずるによつてそれを易く扱ふことができるやうになる、前には頗る困難であると心配したことも、人を信じて行った爲めに、それをサッサと、らくにやつけてのることができるやうになる、人を信じた爲めに我々は、大なる力を得るのである」とは腹に浸み渡る味のある告白である、世に穽がないか、どうかと疑ふて居つては足元が確かりせぬ、右へ往かうか左へ往かうかと躊躇して居つては、眞一文字に進むことが出來ぬ、思ひ切って踏み占める時は、足元が益々碓かになり、一直線に進むときは岩も碎くるものである、實に世に信ずる程力强きものはない、


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人を信ずれば必ず人を動かし、事を信ずれば終に事を成さしむるものである。かく信ずるは力であると云ふことは確であるが、何故かく信ずることが出來るのであるか、全體何物を信ずるのであるかが明らかになりて居らねばならぬ、抑々信ずべきものがなくては信ぜられる筈がない、信ずると云へばとて盲滅法に踏み出すことではない、むやみに盲進することではない、踏み占むべき地盤が鞏固である故に、自から思ひ存分足を踏み占めらるゝのである、進むべき前途に永久の光明が輝きてある故、自然と引き附けられて進まざるを得ぬのである、信ずるは確かに大なる力であるが、抑々其信ずると云ふことは、無理に我心を固めて空を信ずるのではない、我々に對して大なる力


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の存在を信ずるのである、我々は佛陀の大なる力を感ずれば、迚も信せずには居られぬのである、されば自然の結果として我々は之を信じたるが爲めに、大なる力を得るのは決して怪しむべきことではない、寧ろ當然の事柄である。近時世人が信仰の必要なることを自覺し、且つ眞面目に之を求むる氣風の切實なるは、洵に喜ばしきことであるが、唯徒らに信ぜねはならぬと云ふのみで、何を信ずるのであるかに氣を付けぬ 傾がある、信仰と云ふことは單に苦悶して空を攫まむとしてあせることではない、確實なる佛陀の力を攫むことである、修養と云ふことは漫りに心を練たり、固ためることではない、安住すべき偉大なる佛力に信頼して、世路の風波を凌ぎて行くことである、此の如く大なる


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佛の力を感ずるや否や、直ちに大なる信仰を獲得し來るものである、故に信仰とは此大なる佛陀の力を見出すより外はない、故に寧ろ佛の力を攫むと云ふよりも、佛の威神力に攫まるゝと云ふた方が適切である。釋尊一代の事實は此大なる力を實現せられたるものである、而してあらゆる佛菩薩も、一切の經巻も、皆此大なる力の開顕に外ならぬものである、一たび華嚴を繙くときは、如何に此佛陀の力が、法界の大なるより微塵の小に至るまで、普く周偏してましますかを感ずる次第である、法華を繙くときは如何に佛陀の力が我々を信仰の門に導くべく、慈悲矜哀の御心が溢れつゝあるに感泣する外はない、文殊大士の徳を觀ずれば、如何にも身口意の三業淸らかにして、一點


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の垢穢を止めざる佛陀の智慧の塊を見ることが出來る、觀世音の光を仰げば、佛陀慈愛の示現として、身にも心にも溢るゝ甘露の徳澤は、我々胸中の煩悩の燄を打消し給ふ次第である、此の如く佛陀が人生の苦痛に感應すべく、救濟の人格を示現し給ひたるものがあらゆる佛菩薩にして、其救濟の力を開顯し給ひたるものが一切り經巻である、つくづく心を潜めて佛法の大海を伺へは、如何にも廣大にして殆むと其津涯が分らぬ程てある、其一滴だも佛陀の大なる力の現はれたらざるものはない。此の如く十方に周偏せる佛陀の力を中心に集め來り、三世に示現せる薩埵の人格を含有せるものが、即ち無量壽佛の覺體である、無量光佛の願力である、故にかく三世十方に滿てる佛陀の力を一佛の上


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に收めて、一たび之を念ずるものは佛陀慈悲の胸中に攝取し給ふと云ふのが、即ち法然聖人の徳音である、我國では奈良朝平安朝に於ては、佛教の材料が集まりたる時代で、此佛陀の大なる力が、或は社會的に、修行的に、個々別々に現はれつゝあつたのである、而して源平の戰で人生の苦痛を實驗して、初めて此大なる力の救濟を味ひて、一聲稱念の中に、佛教の精髓を鍾められたのが、鑓倉時代の法然聖人の念佛爲本の徳音である、此徳音を聞かれたる親鸞聖人は、如何に胸中に浸み渡りて喜ばれたか、殆むど想像の及ばぬ所である、歡喜胸に滿ち、渇仰肝に銘すとは、釈鸞聖人の實感である、而してかく法然聖人が宣傳し給ひたる佛陀の大なる力を確信して徹頭徹尾自己の運命を任せ、生殺與奪を一に佛意に委ねられ給ひたるが、


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即ち親鸞聖人の信心爲本の徳音である、親鸞聖人が一鮎の餘裕の存せざる確然不動の信仰は、法然聖人が大なる力を宣傳し給ひたる響である、其大なる力を感せらるゝ程度の强きだけ、夫れだけ信仰が强くある、「親鸞にをきては、たゞ念佛して彌陀にたすけられまいらすべしと、よき人のおほせをかうふりて、信ずるほかに別の仔細なきなり」とは、確かに此間の消息がよくあらはれたる告白である。かく一たび大なる力を確信し給ひたる已上は、其大なる力已外に何物も聖人の眼中にはない、其大なる力其物と、其大なる力を傳へ給ひたる法然聖人の徳音との間に、一點の餘地を存せざるに至る次第である、寧ろ法然聖人の人格夫自身を以て、此大なる力の権化であると云ふ考である、夫故「たとひ法然聖人にすかされたてまつりて、


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念佛して地獄に落ちたりともさらに後悔すべからず候」といふ偉大なる確信を生する次第である。而して是れ親鸞聖人が切りつめたる信仰の極所にして、一點の飾りなき告白である、さればこそ、法然聖人に對する確信は其儘自己の信仰の確實を顯はすことゝなりて、知らず識らず、「法然のおほせまことならば親鸞かまうすむね、またもてむなしかるべからすさふらふか」といふ嚴かなる言語を以て、此大なる力已外に自己なきことをあらはされた、此に於て一點自己の價値を認めぬ私なき信仰は、やがて是徹頭徹尾此大なる力を以て滿たされたる偉大なる信仰となるのである。


一九 自然の法則

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物質界に於て物理學的法則の行はれつゝあることは、誰も拒むものはない、夫と同樣に精神界に於ても一種の法則の行はれつゝあることは、實驗上疑ふべからざる事實である、五の力と十の力と相引くときは、十の力が勝つ如く、善にせよ、惡にせよ、其力の强き方が勝つものである、若も善の力が十にして、惡の力が五であれば、善の力によりて惡しきものが滅さるゝが、之に反して惡の力が十にして、善き心が五であれば、惡の爲めに善が消へ去るものである、又水平線に高低ある二個の池を、樋を以て相通ずれは同一の水平線になる如く、人と人と交際するときは、互に相感化して同一の水平線を保たんとするものである、面積の小なる高き水平線の池が、面積の大なる低き水平線の池と樋を以て通ずれば、勢、高き水平線は忽


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ち引き下げられて仕舞ふのもである、其如く少小の善人は兎角惡しき人、惡しき心、惡しき力に負けて仕舞ふものである。以上擧げたる事實は、物質界の法則を以て精神界の事を形容したるものであるが、實驗上慥かなる事實である、而して此の如き精神的法則が、如何なる範圍まで行はれつゝあるか、頗る其涯底を測り知ることが出來ぬ、吾人の經驗する所によれは、此法則なるものは、慥かに時間空間の範圍に於て局られざるものにして、其行はる、境域なるものは、殆んど無限の時間空間に渉瑠ものである、かく物理界に運働の法則が存する如く、精神界にも一種の法則が存するに違ひない、所謂感應道交なるものは此法則を言ひ顕はしたるものである。


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偖物理界に運動の法則はありとするも、其法則の運行するには、其運動の原動力を要する如く、精神界に於ても其原動力の何たるかを知らねばならぬ、即ち十は五に勝ち大は小に勝つと云ふことは明瞭であるが、其十若くは五の『力』と稱せらるゝもの、又高き若くは低き水平線を形體る『水』なるものが何物であるかを知らねばならぬ。吾人か普通に經驗する範圍に於ては、其力は吾人の『心』である、吾人の惡しき力は惡しき心即煩惱である、吾人の善き力は、善き心即慈悲心である、然るに此力が吾人の社會上に於て、即ち人間界に於て行はるゝことは、毫も拒むことの出來ぬことは明瞭であるが、此力は唯、五十年乃至百年の人生にのみ存するのみでなく、幽冥界に於ても此力の存在する事を實驗するものである、即心の力なるも


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のは、吾人の五十年乃至百年の生涯を以て終るものとは考へられぬ、此に至りて所謂三世因果の法則なるものも實驗上明らかに映りてくる、故に三世因果の法則の如きも、天然の法則を廣き範圍に於て行はしめたる而巳の事で、決して怪しむべきことではない、唯物理界 に行はるゝものを精神界にまで及ほし、現世界のことを現世已上に及ぼしたるまでのことである、三世因果の法則の行はるゝ原動力を『業』と名けて、吾人の所作の力に歸したるは、實驗上何人と雖、拒むべからざる教理である。かく心の『力』なるものが無限の時間、無限の空間に働く上に、猶一つ大に考ふべきことは、其『力』の分量なるものが、普通の人間の力の分量としては、迚も考ふべからざることがある、兎角人間界に於


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ては、惡しき方の力は實に無限にあり得るも、善き方の力は常に微弱なるものである、我々が自分の胸中に尋ねても、又他の人の自分に對する所作を考ふるも、善さ力が惡しき力に打勝つ程の分量を認めることが出來ぬ、故に眞面目に人世を考へてみるときは、實に心寂しき限りである、世は惡しき心が勝ちて、善き心が漸々減さるゝとするときは、世界は堕落するのみである、社會は闇黑になるばかりである、然るに我々は實驗上時々『大なる力』を感ずることがある、非常に暖き『慈悲の力』を感ずることがある、非常に清らかなる『智慧の力』を感ずることがある、世に人間だけの力の分量では實際解釋の附かぬ塲合が多い、私は考へる、世に慈父悲母の愛なるものがなかつたならば、五十年の人生は實に興味なきものであろ


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う、其如く此無限の時間に繼續せる大人生の間に於て、此『人間已上の力』なるものがなかつたならば、實に何等の味も泣きものであらう、然るに幸なことには吾々は實驗上此力の働けることを感する次第である、此『力』を一つ一つ名づけて諸の佛、諸の菩薩と呼びたるものである。偖信仰の純粹ならざる間は、此力を別々に感ずる樣になる、随て色々の徳を具ふる佛、色々の力を有する菩薩が數多く出來る樣になる、而して此方より此力に求むる心が、塲合によりて異りて來る、即ち諸の佛の力か、色々異りたる結果を持來す、又其各々異りたる塲合に其結果を下さる樣に、諸の佛に求むる心がある、然るに熟々考へ來るときは、此諸の力なるものは、決して別々に存在して居るの


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ではない、結局一の大なる救濟の力であると云ふことが分かりてくる、かく大なる力が唯一絕對の力であると云ふことが分りて來れば、其大なる力は常に救濟を下ださるゝによりて、決して各の塲合に應じて、求むる必要がない、唯其大なる力を信ずればよい、寧ろ信せざるを得ないのである、其力を信じたるものならば、全體結果を豫測して佛に求むると云ふことはあるべきことではない、所謂心だに誠の道に叶ひなば祈らずとても神や守らむとの意味である。偖此多くの別々の力を別々に認めずして、唯一の救濟力を感じ、結果を求めずして唯力を信じて之に任すと云ふことは、信仰の實驗上に言ふべからざる味の深き點である、なる程色々の塲合に於て色々の力を感じて、色々の人格を認めることは、たしかに初めて人間已


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上の力の存在することを認めるときは止むを得ぬことであるが熟々考へて見るに、此の如き或塲合のみに感ずる佛では、決して十分の安心が出來ぬ、又唯自己が煩悶苦惱を感ずる塲合とか、不幸災難の起りたる時にのみ佛の力によらむとするやうに、部分的に救濟の力を求むるのは、決して信仰が純潔に達して居らぬのである。全體我々の胸中は絕えず惡しき心が起りつゝある、我々の所作は一とし汚れざるはなきものである、我々は其力を或塲合のみに感して居る位では隈なく佛の光明を拜む譯には行かぬ、我々が折々に感ずる力は別物ではない、唯一絕對の佛の救濟力であることを認めたのが、純潔の信仰である、法然聖人か諸佛菩薩を彌陀一佛に收め來りて、一向専修の念佛を勸められたは實に無量の味がある、夫故親鸞雅聖人も法


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然聖人に勢至の智慧を感じ、又聖徳太子に觀音の慈悲を感ぜられたれども、結局之を彌陀の無量の徳の顯現として、唯一救濟の力のみを鑽仰せられたは、抑々淸らかなる醇乎なる信仰を見ることが出來る。かく力が唯一絕對なることを認めても、若し、此絕對に向ふ心持が、各の塲合に結果を豫想して此力に向ふならば、未だ純粹に救濟力を感じたとは言はれない、全體結果を豫想すると云ふことは、眞實救濟の力よリ來る結果ではないのである、寧ろ人間が利己的の精神より割り出して、人世的快樂を貪らむとする鄙劣心が佛の力を利用して之を得むとする頗る横着なる心である、此の如き心は鴎随分あり勝ちのものである、極穿ちて云へば、自分でば決して求むると云ふ


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ことはせぬ、然れども必ずやかく幸福が下だるであらうと、心の底に待ち設ける心の起るものである。祈らずとても神や守らむとあれば、自を閉ぢて居る間に、かくし給ふらむと云ふ樣な横着なる心の起るものである。此の如き心が雑り居るときは、たとひ絕對の力を認めたと云ひつゝも、此方の認め樣が絕對とは云はれね、純粹とは云はれぬ、此に於て雑行雑修と云ふ意味が實に明瞭になりて來た、親鸞聖人が一切の祈禱を廢せられたも、實に純潔なる信仰の極をあらはされたものである。結局純粹なる信仰なるものは、吾々の人生を初めとして、永久の後の生まで、佛の大なる唯一絕對の力に救濟せらるゝことである。而して吾々は其佛の無限力に任せて、結果の如何を彼れ此れはからう


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と云ふことなく、唯救濟の力を仰ぐことである、此の如き「力』はに人と人との間に働く心の所作でなく、佛の大まる所作である、即『大願業力』である、若し人間の眼より見れば實に不可思議である。何故と問ふてみても、此の如き不可思議力を吾人は感ずると云ふより外はない、偖此の如き不可思議力のある已上は、此力によりて救濟せらるゝことは決して怪しむべきことではない、寧ろ當然のことである、物理界の引力の法則によりて、石の地に落つるは自然の法則である、善き所作は善き結果を招き、惡して所作は惡しき結果を招くは、是亦業報因果の自然の法則である、今佛陀の不可思議の救濟力によりて、我々は何等のはからひなくして助かると云ふは、大願業力の自然の法則である、此に至りて親鸞聖人の言を味ふべきである


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「自然といふは自はおのづからといふ、行者のはからひにあらす、然といふはしからしむといふことばなり、しからしむといふは行者のはからひにあらず、如來のちかひにてあるがゆへ法爾といふ」「法則といふははじめて行者のはからひにあらず、もとより不可思議の利益にあづかること自然のありさまとまうすことをしらしむるを法則とはいふなり、一念の信心をうるひとのありさまの自然なることをあらはすを法則とはまうすなり」「他力には義なきを義とすと聖人のおほせことにてありき、義といふことははからふことはなり、行者のはからひは自力なれば義といふなり、他力は本願を信樂して往生必定なるゆへに、さらに義なしとなり」と、實に味ふ程味のある言葉である。


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二〇 佛陀の眞實

佛とは如何なる方である、佛の力とは如何なるものてあると尋ねられたときは、唯何んのことはない、佛とは慈悲な方である、眞實の塊である、又其御力で私を救ふて下さる、又常々私の汚を照して下されて、言ふに言はれぬ慰みを與へて下さるゝ、といふより外に言ひ樣はない、世に若し佛がましまさずば、世間はたしかに眞闇である、世に若し佛が在しまさずは、實に殺風景の極であろう、私は佛を信じ力る爲めに、他の人よりも勝れて居るとは毫も思はぬ、されど私一個人としては若し此佛の救に與づからずは、迚も今日あることが出來ぬのである、又今日生きて居る甲斐もなきことである、


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細々ながらも世間が四方八面闇黑になりても、其中に光りが輝き、如何に激しき風雨がありても、其間に言ふに言はれね暖かき御慈悲が身に浸み込む心地がする、佛の誓も、佛の力も、ひしひしと適切に感ぜらるゝ、親鸞聖人が「彌陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり、さればそくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ』と述懐し玉ひたるも、他人の事を言はれたとは迚も思へない、かく佛の慈悲に攫まれ、光明に照されたとて、私が決して他人に比べて立派なる行が出來るとは毫も思はない、されど若し此佛に遇ひ奉らずは如何に久しく苦んだであらう、惱んだであろう、如何に堕落したかもしれぬ、如何に失敗したかもしれぬとは、慥かに


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信ずることである、「をのをのの昔は禰陀のちかひをもしらず、阿彌陀佛をもまふさずおはしまし候ひしが、釋迦彌陀の御方便にもよほされて、いま彌陀のちかひをきゝはじめておはします身にて侯なり、もとは無明の洒に醉ひふして、貪欲、瞋恚、愚痴の三毒のみこのみめしあふて候ひつるに、佛の御ちかひをきゝはじめしより、無明の醉もやうやうすこしづゝさめ、三毒をも、すこしづゝ、このまずして、阿彌陀佛のくすりを、つねにこのみめす身となりて、おはし ましあふて候ぞかし」とは一言一句心に浸みて難有き教である。全體人間が眞面目に自己を省る心がなきときは、精神上の問題に向て入るべき門戸はない、そして奥深く考ふれば考ふる程、内心の穢はしく、底暗く、怒り安きことが分りてくる、抑々「汝白一身を知れ」と


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の古き教を適切に味へば昧ふ程、自己は立派でなきことが分かりてくる、佛陀が吾々の内心を解剖して貪欲、瞋恚、愚痴の三壽とせられたが、實に實驗上爭はれぬことである、我々は我々の本體が何んであるか、靈塊があるか、なきか、すべて分らぬが、唯自分が三毒の塊たることだけは明らかである、罪惡の塊であることは一點疑ふべき餘地を見出さない、佛教は此根本に向て開かれたる門戸である、佛が布施即慈善の行を御勸めなさる、若し此價あるものを彼人の利益の爲めに我が與へるのじや思ふならば、何の爲めにもならぬ、唯之を吝氣もなく與へる心持がよいのである、故に布施の行をすれば貪欲の煩惱がなくなるのである、佛が忍辱即忍耐の行を御勸めなさる、自分は腹が立てども先づ人を恕してやるのであると思ふなら


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ば、何の爲めにもならぬ、人を恕してやるのでない、腹立つことのつまらぬことを自覺する樣にならなければならぬ、欽に忍辱の行をすれば瞋恚の煩惱がなくなるのである、佛が善を爲せと教へらるゝ、善其物に執着してはいかぬ、善を爲すは吾々の心の無明をなくする爲めである、八萬四千の門戸の開かれたは、八萬四千の煩惱があるからである、門を叩かぬものには開かれぬ、自己が煩惱の塊であることを自覺せぬものには、救濟の門戸は永久に鎖されてある。親鸞聖人は實に此人間の弱點を自覺せられたる方である、「一切の凡小、一切時中に、貪愛の心つねによく善心をけがし、瞋憎の心つねによく法財をやく、急作急修して、頭燃を拂うが如くすれども、すべて雑毒雑修の善となづく、また虚假謟僞の行となづく、瞋實の業


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となづけざるなり」とは實に氣持の惡しき迄、我々の弱點を看破せられた樣に感ずる、平生心を淸淨に持ちたい、人の爲めになることは、少しも吝氣なく盡したいとは思ふてはいるものゝ、兎角、穢き心が起り、知らず識らずの間に、骨吝みをしたり、氣が附かぬ間に自分と云ふ考が雑り安い、又平生なるべく、少しでも善きことをしたいと、心掛け、人に對しても頗る滿足な心持になって、坐ろに佛の惠みを喜びて居るの下に、突然としで怒の心を起して、今迄積むだ功德の法財を一時に焼き滅して、後から考へてみて、自らあきるゝことがある、どれ程我慢をして頭に火が附きた樣につとめたととろで、純粹な眞實の心になられぬ、雑りものである、毒だらけである、結局虚假である、謟僞である、人間の力で眞實なぞは迚ても迚ても


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及ばぬ、善らしきものは、善を飾りた僞善である、兎角、人間が我は善人であるとか、淸淨であるとか思ふべきでない、一枚皮をめくれば、腹の中は、穢わしき、汚き、黑き、怖るべきものが、大騒動をして居るのではないか、「外に賢善精進の相を現ずるを得ざれ、中に虚假を懐けばなり、貪瞋、邪僞、奸咋百端にして、惡性やめがたし、事蛇蝎に同じ」とは吾々に對する骨身に徹する打撃である。此まで推しつまりてくれば、佛にすがるより外はない、唯佛の眞實を仰ぐより外はない、所謂「一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日今時にいたるまで、穢惡汚染にして、淸淨の心なし、虚假謟僞にして眞實の心なし、こゝをもて、如來一切苦惱の衆生海を悲惘して、不可思議兆載永劫において、菩薩の行を行じたまひし時、三業


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の所修、一念一刹那も、淸淨ならざることなし、眞心ならざることなし」である、實に此が佛の佛たる點である、經文には此佛の眞實をあらはして欲覺瞋覺害覺をル生せず、欲想瞋想害想を起さず』とあるが、實に我々が弱點の根本たる三毒の正反對に立て、淸淨の行を以て酬ひて下さるのである、我々は兎角慾心が起り勝ちであるのに、佛は少欲知足である、我々は眼に角を立て安いのに、佛は和顔愛語である、我々は麁言を吐きて自ら害し、彼を害し、彼も此も共に害しつゝあるのに、佛は善語を下し玉ひて自ら利し、人をも利し、人も我も倶に利することを修習し玉ひたのである、我々が三業に於ける弱點たる病に對して、佛は恰も適當なる藥である、吾々は此佛の眞實なる藥を用ゐるより外に仕方はない、「一切の衆生の身口意業の


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所修の解行、必ず、眞實心の中に作し玉ひしを須ゐよ」とは、實に吾々が救濟の極所である、此に至りて前に云ひたる如く、無明の醉もやうやうにすこしづゝさめ、三毒をも、すこしづゝ好まずして、阿彌陀佛の藥をつねに好みめす身にして貰ふたのである、此に至りて一點の私はない、全く佛陀の眞實が我々の胸の中に宿りて下されて、言ふに言はれぬ樂の境界がある。かくなりたる巳上は吾人は滿身感謝の情に滿たされつゝ、出來得るかぎりは、身も心も謹み、出來得る限りは佛陀の慈悲を傅へ、佛陀の御心が世の中にあらはるゝ樣に勉めねばならぬ、なるべく慈善もなすべきである、經營もなすべきである、一分だけでも行ふのが報謝である、一歩々々謹むのが修養である、一則々々佛の眞實を鏡と


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して我々の罪惡を懺悔すべきである、少々、長けれど親鸞聖人の誡を引きで我々の座右に具へよう、曰く「煩悩具足の身なればとて、心に任せて身にもすまじきことをも許し、口にも言ふまじきことをも許し、心に思ふまじきことも許して、いかにも心の儘にてあるべしと申しあふて候らうこそ、返す返す不便に覺え候へ、醉も醒めぬさきに、なを酒をすゝめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすゝめんが如し、藥あり、毒をこのめと候らんことはあるべくも候はずとこそ覺え侯、佛の御名をも聞き、念佛を申し、久しくなりておはしまさん人々は、此世の悪しきことを厭ふしるし、此身の惡しきをは厭ひ捨てんと覺ぼしめすしるしも候べしとこそ覺ん候へ、はじめて佛の誓をきゝはじむる人々の、我身のわろく心のわろきを思ひ知り


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て、この身のやうにては、いかで往生せんずるといふ人にこそ、煩惱具足したる身なれば、わがこゝろの善惡をば沙汰せず、迎へ玉ふぞとは申候へ、かく聞きて後、佛を信せんと思ふ心深くなりぬるには、まことに此身を厭ひ、流轉せんことをもかなしみて、深く誓をも信じ、阿彌陀佛をも好み申しなんとする人は、もとは心の儘にて、惡事をもふるまいなんとせしかども、今は友樣の心を捨てんと思ほしめし合せて玉はゞこそ、世を厭ふしるしにても候はめ、また往生の信心は釋迦彌陀の御勸によりて、起るとこそ見えて候へば、さりともまことの心起らせ玉ひなんには、いかでか、昔の御心のまゝにて候べき」と、佛のまことの心の宿りたる聖人の人格と信仰とがあありありとあらはれて、實に渇仰に堪へられぬ。


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二一 涅槃の極果、薗林の遊戯

「淨土眞宗の勸化は平生業成の信の一念にて往生の得否は定まるものなり、是皆彌陀他力本願の强縁に、もようさるゝことゝ心得べきなり」と云へる善知識の御教訓は、我が父か最後の際に至るまでの信仰の鑑であつた、そして私に身を以て其味をしらして下さつた、特に平生業成の意味が分つた、全體父は持病の爲めに深き昏睡に陥らるゝ事が多かった故、人生上の事は大抵皆違ってあったが、其間に於て信心上のことだけ益々確實であつた、日暮から夜に入るに従で、星の光の明らかなることが分って來る樣に、信仰の有樣は少しも平生と異ることはなけれども、身體も不自由になり、口には囈語ばかり


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を云ひ、精神上も間違がちになるに従て、信仰の間違なきことがひときはよく目立って來た、最も驚いたのは身體に随分甚しい苦痛があったにも拘はらず、身體の苦痛と心の安慰とが別々になってあつた、囈語と讀經とは、出てくる所が別な樣な氣持がした、動もすれば平生業成とは、平素に手廻はしを爲て置くことで、平素に役濟みであるから、死際には信心が消えて仕舞ってもよいのであると誤解して居る者がある、こんな信心ならば仕入物の樣な信心じゃ、金剛堅固の白道は、いかにも人生の水火の爲めに蔽はるゝことはありても、心の底には終始變りなく、末まで通りて遂に西にの岸まで達して居るのである。一分一分病苦は增す、一息一息體力は衰へる、して信心のことは確然とした儘で、少しも變らず、遂に寂静無爲の境


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に入るのである、涅槃の城には信を以て能入とすると云ふ言は、初めて身に浸みて頂けた。「煩惱成就の凡夫、生死罪濁の群萠、往相回向の心行を得れば、すなはちの時に大乗正定聚のかずに入るなり、正定聚に住するがゆえに、かならず滅度にいたる」と云へるなだらかなる連續がよく味ヘた、臨終と云ふ時に、別段際だちて氣をとり直す必要はない、平生業成の一念の信は、上一生の間繼續して、自分では計らはざれど、所謂自然の强縁にひかれて人生の日暮が來ると同時に、滅度涅槃の星が輝きてくるのである。信心ある人の臨終を見るときは、滅度とか寂滅とか云へる言はいかにも適切である、されど其滅なるものは、絕滅するの意味でなくて、却て永久自由の境に入り、所謂諸根悦豫の樂しき域に遊ぶのである


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ことは、此度親しく實驗によりていかにもよく分つた、實に是れ常樂の妙境であって、佛が涅槃に入り給ふとき、悲しめる弟子方に對して如來は常住にして變易あることなしと教へ給ひたる靈域が、歴々として見ゆる心地がした、「かならず滅度にいたるは常樂なり、常樂はすなはち畢竟寂滅なり、寂滅はすなはち是れ無上涅槃なり、無上涅槃はすなはち無爲法身なり、無爲法身はすなはちこれ實相なり。實相はすなはち法性なり、法性はすなはちこれ眞如なり、眞如はすなはちこれ一如なり、しかれば彌陀如来は如より來生して報應化種々の身を示現し給ふ」と云ふ繰返しの御言が、一々活きて味ふことが出來る樣になつた。淨土論に描がれてある淨土莊嚴の有樣は、此度こそ目に見る樣に頂


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くことか出來る樣になつた、正覺阿陀彌法王の善き力によりて住持せられたる。寂静無爲の淨土の大なる御親の下に、如來淨華衆たる眷屬莊嚴の方々が正覺の華より化生し給ふ樣子が見へる心地がする、我父の如きも今や此莊嚴の仲間入りをして、善友相見へて、極なく喜んで居給ふかと思ふと、實に心の中が淋しき中にも非常な滿足である、其淨士に生れらるゝや所謂無生の生で、目が醒めて見れば、昔しながらの悟の限なき世界であつたことを、昧ふて居らるゝことであろう。殊に五功德門の譬喩などは、たしかに淨土穢土の間を出入した經驗のある人でなけれねば、迚も說くことの出來ぬ境たることが分った。私は二十年來他に遊んで居りましたが、今になりては毎年必ず國に


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歸省した時の感じを想ひ起さゞるを得ない、汽車が生國の境に入る、山水は皆舊知己である、行き過ぐる村々まで幼少の時に遊びた歷史中のものである、かく一歩々々漸次に故郷に近く、遥かに我村が見える、我家の松が見へる次に屋根か見へる、近門の味はこゝじゃ、人生にて法をきゝて一歩々々淨土に近づくも、かくの如きである、かく近づき來れば既に田にある農夫、道に遊べる子供までか、歸りて來たまひたと迎ひに來る、何時の間にやら我は故郷の人たる大會衆門正定聚の仲間入りをする、かくなればモウ歸ったも同樣、足の進むに隨ひ自然に我家の門まで來る、さていよいよ我家の閾を跨ぎて、侍ちかねたまへる父母の膝下に唯今歸りて参りましたと頭をさげ、頭を上ぐれば兄弟は側に在り、舊知巳も集って居る。一家


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團樂やれやれと心を安らかにし、氣ををちつけて、いつも佛祖の冥助に感泣したことがあった、今は吾父も其如く蓮華藏世界に入りて、眞如法性の身を證りて待ち兼ね袷へる本師法王に見え、眷屬莊嚴の中に加はりて、修行安心の宅に安住し給へる宅門の味は、二十年來、我が度々此生に於て父上に歸省した味と、同樣ならむと思へば、たしかに自分も半分だけは父上に伴ひて其境にある心持がする、偖夫から座敷へ通る、母上の用意し給へる御馳走、誰某が呉れた菓物、歸るまでと貯へて下さった珍物など、旅の話と、故郷の話と、語を交へつゝ味ふ有樣は、是ぞたしかに修行所居の屋禹に入りて佛法の味を愛樂し、禪三昧を食として、法味樂に滿足する屋門の有樣である、かく滿腹し終れば、庭木やら花園の間でも散歩でもし


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ようかと父子相携へ、母も弟も共々に徘徊する有樣こそ、實に薗林遊戯地門の眞趣味である。薗林遊戯地門と云ふは、如何にも適切なる譬喩である、諭に曰く、大慈悲を以て一切苦惱の衆生を觀察して、應化の身を示し、生死の薗、煩惱の林の中に廻入して、神通に遊戯して教化に至る、本願力の回向を以ての故に之を出第五門と名く」と、誰も何氣なく讀みつゝある文なれども、實に深き趣のある教である、應化身を示現することは、恰も法華經の普門品に說ける三十三身の如しと曇鸞大師は註せられた、又願文には普賢の德を修習せんと誓てある、普賢行願讃なる經文の意義を味ふに、恰も彌陀の願意と同樣である、抑々普賢行願讃は文殊師利發願經と同本異譯にして、其意味は左の如くで


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ある、曰く身口意の三業を淸淨にして十方の諸佛如來を供養し、三世の菩薩と共にあらゆる衆生海を濟度し、殊に文殊師利は智惠を以て普賢の行願と相伴ひて、多くの佛子を誘ひ、命終の時無量壽佛の宮に生して、親しく阿彌陀佛に見え奉らむとの意味である、かく考ヘ來らは諸經中にある諸佛、菩薩は、我々を引接する爲めの方便である、してみれは吾々人生なるものは如何なる所に如何なる佛の示現があるやら分らぬ次第である、親鸞聖人が聖徳太子の上に觀世音の慈悲を仰き、法然上人を以て、勢至菩薩の智惠の化現と見給ひし如きは、たしかに之が事實的證明である、「山鳥のほろほろと嗚く聲きけば、父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ、」吾々一生の間に生れかはり死にかはり、佛が私を救ひ給ふことの深き事は、到底測るべからざる


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ことである、亡くなられた親が我を導かんとて、樂しき淨土に安んぜずして、再び穢國に還來し給ふことゝ思へば、親の慈悲の極なきに感泣すると同時に、もともと如來の御親が我親を出迎へ給ひしのみならず、薗林遊戯地門の衆生濟度の徳まで授け給ひたる、周到なる根本的の大慈悲に渇仰する次第である。此に至りて親鸞聖人が此薗林遊戯地門に重きを置き給ひて、佛陀が我々の上に下し給ふ救濟の一半であると示し給ひたるは、中々深き味あることである。文類開巻に「謹んで淨土眞宗を案するに二種の回向あり、一には往相二には還相、往相の回向につきて眞實の教行信證あり」と宣へるをみても分かる、私の如き従來還相回向なるものを、左程重大なることゝ思はず、有躰に告白するに、眞實證の附


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物位に考へて居つたが、是は大なる誤であつた、親鸞聖人の如きは晩年になるに従て、此邊に重きを置き給ひしものと見えて、特に「入出二門偈」なるものを作りて、淨土に入ることゝ、穢土に出でくることゝを對等に並べて、何れも佛陀の回向なりと喜び給ひた、私の如き従來前半世に於ては、父が淨土に往生せらるゝ始終、即ち平生業成の信心から遂に涅槃の妙果に達せらる、最後まで、信仰の鑑であつたが、今ではもはや親しみ接することが出來ぬゆゑに、唯々穢土に還來して普賢の德を修し給ふことを、後半生の理想とするより外はない、和讃に 「觀音勢至もろともに、慈光世界を照耀し、有縁を度してしばらくも、休息あることなかりけり、安樂淨土にいたるひと、五濁惡世にかへりては、釋迦牟尼佛のごとくにて、利益衆生


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はきはもなし」とあるは、今は人ごとならずよく我身の上に蒙る慈光なりと喜に堪へぬ次第である、親鸞聖人が「我二菩薩の引導に順じて如來の本願を弘むるに在り」と宣へる感謝は、よくよく身にこたへて感涙に堪へぬ、幸に宿縁深くして、かく行信に遇ひ奉りたる已上は、もう此世の望は此大御親の慈悲を一人にても傳へる常行大悲の德に従て生活するより外はない、かく生活せば我一人居らば二人、ニ人居らば三人と、必ず我父も影の如くに我々の身に添ひ給ふことは疑はれぬ次第である、されど此世に居る間は凡夫は飽まで凡夫である、思ひ存分に御慈悲を傳へるなどは中々思ひよらぬことである。寧ろ、我等も遂には正覺華中に化生して、本師法王の大御親と、眷屬莊嚴中の我が親に遇ひ奉り、再び手を携へ親しく此世界の薗林に


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遊戯すること、和歌の浦の方雄波のよせかけよせかけ返らむが如く、心ゆくばかりに衆生濟度をさして下さることゝ思へば、唯々佛意の極なきに仰嘆し奉るの外はない。(三十七年五月)

信仰の餘

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