「ダンス・ダンス・ダンス」


 「大丈夫、心配することはないよ。あんたはいるかホテルに含まれているんだよ。」と羊男は静かに言った。「これまでもずっと含まれていたし、これからもずっと含まれている。ここからすべてが始まるし、ここですべてが終わるんだ。ここがあんたの場所なんだよ。それは変わらない。あんたはここに繋がっている。ここがみんなに繋がっている。ここがあんたの結び目なんだよ。」
 「みんな?」
 「失われてしまったもの。まだ失われていないもの。そういうものみんなだよ。それがここを中心にしてみんな繋がっているんだ」

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 「ここがあんたのための世界だからだよ」と羊男は当然のことのように言った。「何も難しく考えることなんてないのさ。あんたが求めていれば、それはあるんだよ。問題はね、ここがあんたの為の場所だってことなんだよ。わかるかい?それを理解しなくちゃ駄目だよ。それは本当に特別なことなんだよ。だから我々はあんたが上手く戻って来られるように努力した。それが壊れないように。それが見失われないように。それだけのことだよ」
 「僕は本当にここに含まれているんだね?」
 「もちろんだよ。あんたもここに含まれている。おいらもここに含まれている。みんなここに含まれている。そしてここはあんたの世界なんだ」と羊男は言った。そして指を一本上にあげた。巨大な指が壁の上に浮かびあがった。
 「君はここで何をしているの? そして君は何なんだろう?」
 「おいらは羊男だよ」と彼は言ってしゃがれた声で笑った。

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 「あとひとつだけ聞いておきたいことがあるんだ。さっきふと思ったんだ。ふと気がついた。僕はこれまでの人生の中でずっと君のことを求めてきたような気がするんだ。そしてこれまでいろんな場所で君の影を見てきたような気がする。君がいろんな形をとってそこにいたように思えるんだ。その姿はすごくぼんやりとしていた。あるいは君のほんの一部に過ぎなかった。でも今になって思い返してみると、それは全部君だったように思えるんだ。僕はそう感じるんだ」
 羊男は両手の指で曖昧な形を作った。「そうだよ、あんたの言うとおりだよ。あんたの思っている通りだよ。おいらはいつもそこにいた。おいらは影として、断片として、そこにいた」
 「でもわからないな」と僕は言った。「今僕はこうしてはっきりと君の顔や形を見ることができるようになった。昔見えなかったものが、こうして今見えるようになった。どうしてだろう?」
 「それはあんたが既に多くの物を失ったからだよ」と彼は静かに言った。「そして行くべき場所が少なくなってきたからだよ。だから今あんたにはおいらの姿が見えるんだよ」

                               〜『ダンス・ダンス・ダンス』より〜

 「ダンス・ダンス・ダンス」は1988年に出版された、村上春樹氏の長編小説であり、デビュー作「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の続編で『僕』の4部作目となる。

 それまでの『僕』の3部作が1979年〜82年までの短期間続けて出版されているのに対して、この4部作目「ダンス・ダンス・ダンス」は、それから6年も経った後に出版されている。
 僕の私見であるが、「羊をめぐる冒険」では一応、完結と思わせるような終結の形をとっており、たぶん、村上春樹氏も、その時にはそれほど続編の必要性を感じてはいなかったんじゃないかと思う。もちろん、キキという素敵な耳をもった女の子が急に姿を消したりといった答えの見えない部分も無かったとは言えないが・・・・
 そして、「羊をめぐる冒険」からこの「ダンス・ダンス・ダンス」までの6年間に、村上春樹氏は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウェイの森」という長編小説を2作書いている(もちろん、それ以外の短編はたくさん書いているが・・)。
 僕は、そのうち「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」という作品が、「羊をめぐる冒険」までの『僕』の3部作と非常に大きな関連性をもっており、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を創作したことが、「ダンス・ダンス・ダンス」を書く大きな一因になったのではないかと思えて仕方がない(これは本当に僕の個人的見解であるから、間違っていても許していただきたい)。
 なぜ、そう思うのだろうか?
 「風の歌を聴け」から「羊をめぐる冒険」までの3部作、そして「ダンス・ダンス・ダンス」の核たるテーマは(もちろんそれは具体的にそういう形をとっているわけではないが)、まさに「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の二話世界、つまり、意識の世界(僕たちが普段現実として捉えている世界)と無意識の世界(現実ではあるものの、普段認識することのない深い深い無意識の世界)にあるように思えるからだ。

 「ダンス・ダンス・ダンス」の中心(謎解き)は、上の青地の引用文にあるのではないか?ハワイで見た6体の白骨も、この作品の謎解きの一つではあるけれど、それ以上に、上記の部分が僕にとって大きな意味を持ち、より具体的な答えを提示してくれた。
 今回は少し長くなったが、その部分を出来るだけ引用してみた。

 結局のところ、『僕』は様々な人々と繋がっていて、それはある意味で羊男のなせる技であるけれど、羊男も実のところ『僕』の一部なのである。そして踊り続けることによって、つまり、ダンスをし続けることによって、この世界に留まるっていられるという。
 じゃあ、もう一つの世界とは一体何なんだろうか?
 それこそ『世界の終わり』、つまり深い無意識の世界ではないのだろうか? その世界にはいろんなものがある。失ったもの、まだ失われていないもの。それはある種完全で全てが完結されている世界であるとともに、同時に何も無い虚無の世界でもある。いるかホテルはそういう全ての人々と物を繋げる場所であると同時に、無意識の世界(「世界の終わり」)への入り口でもあるのかもしれない。
 改めて思う。
 僕の「世界の終わり」もきっと存在する。
 僕の羊男もきっと存在する。
 しかし、それはしかるべき時にしか見えないものだと。感じるべき時にしか、感じられないものだと。それまで、自分なりに踊り続けよう。
 ダンス・ダンス・ダンス・・・・・

 今回は僕なりの解釈を少なくしたいと思った。
 少し多目にとった引用文。全てがそこにあり、すべてがそこから始まるからだ。