[氏名] 重田 隆康 (シゲタ タカヤス SHIGETA TAKAYASU ) [経歴] [現職] |
■The Suzuka English Salon とは? 4年程前に、私のドイツ人の友人、ロルフ・ストロ−マイヤーが 鈴鹿に来た時、鈴鹿市内で独逸語を話す人たちに、そのドイツ人を連れてきてくれと頼まれ、このような地方にも独逸語を話す人がいるのに驚いた。そこで英語を話す人たちのグループもあるに違いないと思い探してみたが結局無かった。 それでは私が 声をかけて始めようと出来たのがこのThe Suzuka English Salon である。始めた時には、主として、 IATSSフォーラムでお世話になったボランティアの方々でしたが、それ以外に多くの英語を立派に話す方々が、集まり貴重なインテレクチュアルな時間を過ごしている。 ![]() その後、本来日本人だけでよいと思っていたが、英語のネーチ ブスピカーや、それ以外の外国籍の方々も集まり、鈴鹿では大変ユニークな活動になっていると思う。毎月第二土曜日午前10:00より、会員の皆さんが集まり、2時間、特定の話題を決めて話したり、時にはお客様を呼び、お話を聴いて英語で質疑応答をすると言うこともあります。 編集しているのが私、重田なので、自分で言うのもなんですが、ニュースレターも好いんじゃないでしょうか。私はいいと思いますが、コンピゥーターのメールで会員に送りますのでお金もかかりません。当初7,8名でしたが、現在は平均14,5名の方がお出でになり、今までのカナディアン・ハウスでは狭くなり、現在はフランス・レストランのドミュニク・デユーセを 会場にしております。12時に通常終了しますが、その後会員全員で昼食を頂きます。 この会が今後どのように発展するかわかりませんが、当分は続くような気がします。ご興味があり、入会希望の方は重田まで連絡ください。 ::::shigeta@ceres.ocn.ne.jp::: ■プロバス・クラブと私 プロバスクラブとはプロフェシォナル・ビジネスマンのプロとビジを組み合わせて作った造語で、1965年に英国で誕生し、その後多くの国に伝播していったと言う。 ビジネスの第一線を引退した人達のクラブである。3年程度前に鈴鹿にも出来て、私も最初から会員にもなり、昨年度は会長にも選ばれ、今年(2003)の6月末に任期が終了した。 入会を決意したのは親しくして頂いている方からのお誘いも然ることながら、人間幼児の時から、老年になるまで,つまり生まれてから死ぬまで、一人では生きて行けぬ、集団を作りその中で、強調したり、妥協したり、争い事をしたり、仲良くしたりしながら生きている「生き物 」であることを痛切に感じ、認識しているからである。生き方も、考え方も、趣味も違う人たちとも、たとえ快適でなくても、交流することが、一人でいるより、より望ましいことを知っているからである。 今後この種のグループは沢山出来ていくことであろう。一つ問題は、日本の都会化された地域に居住する人たちは、お付き合いがあまり上手ではない,ということがあります。 |
つまりコミュニティの共通要素があまり無い時、成立し難いと言うことがあります。新しいタイプの集団で、今後時間を経るに従い、より賢いあり方が定着していくのではないかと思っています。 今回会長の任務を無事終了し、自ら希望して会報編集をすることになった。ホームページを作ることかなと意欲を燃やしている。 ![]() このクラブのもう一つの魅力は国際的な組織であると言うことである。その為に主として英語国であるが、多くの友人との交流がたのしめるということであろう。オーストラリアを主体として、IPN(Informal Probus Network)というメール交換のネットワークがあり、私も現在では数少ない日本人メンバーの一人である ■音楽修業(ピアノ、フルート、合唱) 年を積み重ね、若かりき頃を思い起こしてみるのに、「よくもまあ、無思慮で、軽薄で、無努力で、浅墓なことばかりやってきたなあ...」と考えます。「あの時、きちんとしておけば、もっと俺に人生は価値のあるものだったのに。もう遅すぎるな。」なーンて考えることがあります。...いや待てよ。遅くは無いぞ。まだ10年あるぞ。と思って始めたのがフル− ![]() そのとき思ったのである。健気ににもね。若い時の過ちは繰り返さないぞ。根気よく、合理的にやれば、ピア ![]() |