紙風船 #63

尾関宗園先生に学ぶ「勇猛心」から、「父母未生以前、人間本来の面目」
2006.03.05


この歳になっても、まだまだ子育ての追試を受けている私にとって、尾関宗園先生の書かれた「勇猛心」のご本はありがたいものです。

それは、子育ての追試などと思っている自分が、実は誤りであることに気づかされたことと、ずいぶん昔に受けた研修会の宿題が解けた思いがしたからです。

つまり、この歳になっても「親子のきずな」について全くわかっていなかったのです。

この、「父母未生以前、人間本来の面目」という公案については、おのれの生命を、いまある姿としてしか考えられない人には絶対に解けない公案だそうです。

自分の体の中や心の中に、生き生きとした生命力、逆境にも「なにくそ」と反発する力、美しいものに感動し、悲しいことに涙する能力を見出せれば、「父母未生以前」「人間本来の面目」をみているとのことです。

私にとりまして、この解説のお言葉は衝撃でした

さらに、この公案につきまして、白隠禅師がつぎのような歌を詠まれたとのことです。

「闇の夜に 鳴かぬ烏の声聞けば 生まれぬさきの父ぞ恋しき」

この歌について、尾関宗園先生は、このご本に次のように書かれています。

(闇の夜に、カラスの姿など見るにも見れません。いわんや、鳴かぬカラスの存在を知ることは不可能です。おのれのいのちを見ることは、ちょうど闇夜のカラスの姿を見ようとするに等しい。厳然とそこにありながら、なかなか見つかるものではありません。しかし、あなたが深夜ひとりぼっちのとき、ひたむきにカラスの声を聞こうと耳をかたむけてごらんなさい。そのとき、あなたはおのれの心の中をのぞきこんでいるのです。

そして、その心の中には、父が、母が、生き生きとしているはずです。その父や母こそ、

あなたの生命そのものなのです。あなたが生まれる以前からそこにあり、死んでもなおありつづけるものです。宇宙のかなたから連綿として続く生命の担い手として、あなたが生まれようが生まれまいが、そんなことには関係なく存在するもの・・それが「親」だということです。それがキリストと呼ばれたり、釈迦と呼ばれたり、先生と呼ばれる人たちなのです。中略・・・・・・おのれの内に脈うつ生き生きとして力強い生命力に目ざめ、その力をフルに発揮しようとすること・・それが人間本来の面目であり、あなたの親が喜ぶのも、そうしたあなたの生き生きとした姿をおいてはほかにありません)

*尾関宗園先生、ありがとうございました。

本日は、自分自身のための紙風船であり、ご容赦の程を!!

*原田家家紋

鈴鹿市議会議員 原田勝二


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Last modified: March 6, 2006