勤労感謝の日に想うこと(11月23日)・・・勤労青少年・・・
2006.12.01
私は1944年(昭和19年9月)に、この世に生を受け受けました。
日本が敗戦から復興への道をひた走りに進む中、その青春を過ごしたこととなります。
中学を卒業し、直ちに給料を頂きながら技術者として育てていただける、ありがたい会社に就職しました。
そこで、3年間の職業訓練生としての勤労青少年時代を過ごしましたが、働く喜びと学ぶ充実感は今も忘れることなく、大切な学経験となっています。
機械工として一人前になる前に、未熟な私は上司との関係で退社を余儀なくされました。
そして、20歳のときに全く思いもしていなかった三重県警察官となりました。
今になって思うことですが、警察官になった一番の理由は、母が先々を心配したので安心させてやりたかったのではないかと思います。
父は、警察学校入学を見届けるようにその2日後に亡くなりました。
国民の生命身体財産を守るという崇高な使命が、勤労と言う名にあたるのかどうかはいささか疑問ですが、とにかく警察人生14年未満の経験は、どれもこれも常人には得がたい体験の日々でした。
警察官を退官するにあたっては、未練らしいことも無く、十年以上も皆様のために自分の人生を捧げたのだから、ここらでおひまを頂きたいと思ったことが本音です。
その後、いろいろな出会いの中から、車の販売会社に営業マンとして働くことに決し、入社後は、それこそ死に物狂いで働きました。
この時、私は33歳でしたが、私の人生で、やっと本物の指導者と仰ぐ方に出会うことができました。
以降、20年間この会社での働き方とその感覚が、私をかたちづくり、そして何事にも前向きに考える基礎が構築できる精神を鍛えてくれました。
私にとりまして、勤労の言霊は懐かしい響きと共に、青春の日々が走馬灯のように思い起こされるきっかけとなります。
これからも勤労の精神を忘れることなく、世のため人の為に何ができるかを模作しつつ、前に進みたいと思います。
鈴鹿市議会議員 原田勝二