人生の黄昏を迎えた私達の行き方については、無理して「明るい面」を云々するだけでなく、陰の部分、暗闇の部分についても、話し合うことが必要であり、真の勇気を必要とすると思っています。
私にも、陰の部分、暗闇の部分があります。出来たら同じ黄昏人として、大いに議論してみたいと思っていますが。どなたかご興味ありますか??...ないですかね。ただ秘密の花園にこもり、恍惚の人に徹しますか?
■最近のエッセイ(3編) - 1)イタリア賛歌 - 2)ホンダと私の青春 - 3)鳥と蛇のノスタルジア |
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☆☆☆輝きの国イタリアへの思い☆☆☆ 川島雅樹先生からイタリアのカンツオーネを毎週練習して、それに先日ベニスにちょっと触れたら,あの素晴らしいイタリアのことが“シャニム二”書きたくなってしまった。 私はヨーロッパに住んでいたこともあってイタリアには全部で5回行った。一度は家族とイタリアン・アルプスにあるサン・モリッツへ1週間の冬のスキー旅行。一度はベニスへ9日間の夏のバケーション。アフリカからの仕事帰りにトランジットでたった半日のローマ市内見学。ローマ駐在の友人の家に遊びにいった1週間。それと一昨年の白子絵画クラブの出崗先生のグループの皆さんとの9日間のローマ、フィレンツエ、ベニスの美術館巡り。今から半世紀以上も前、埼玉県のド田舎の小学生の頃、図書館で「少年世界百不思議物語」という本に出会った。戦後の紙のない時、仙花紙(この言葉判る人あまりいないだろうなあ!)のひどい紙に印刷した粗末な本だった。でも内容は田舎の小学生の私には凄かった。ドイツのザルツブルクの地下の塩の宮殿、カリブ海のハイチに栄えた黒人王国とそのベルサイユ宮殿のような王宮。
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何処からともなく「サンタ・ルチア」という歌が聞こえてくる。それは船乗りが歌っているのである。「ローマを見て死」という言葉があるが、まさに「ナポリをみて死ね」である』。私は読んでいるうちにいやがおうでも想像力と興奮の高まりを感じ、「よし、いずれ大人になったらナポリを尋ね、カプリ島の「青の洞窟」を見るんだ。そしてその美しい光のシンフォニーを見るんだ。」というのが少年時代からの夢になっていった。ことによったら、戦後の相変わらず苦しい時の生きる目標の一部になっていたかもしれない。 その後、多くのカンツオーネ歌手の「サンタ・ルチア」を聞くたびに、「嗚呼、俺の人生の宿題の一つはまだ終わってないなあ...。まだまだ死ねないなあ!!」と思うのである。 次のページへ(クリック) 日本語トップページへ トップページへ |
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